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連載・特集

追憶 芸備線100年 原爆の絵 青白い光 爆風で体浮く

 背後から突然差した青白い光。被爆者のアマチュア画家、吉村紫朗さん(88)=広島市佐伯区=が1945年8月6日、広島駅の芸備線ホームで見た「ピカ」だ。「焼夷(しょうい)弾と違う」と、とっさに線路に飛び降りて伏せた瞬間、爆風で体が浮き上がったという。見た者が伝えねばと、油絵に描き留めた。

 当時、広島工業専門学校(現広島大工学部)の学生で、市中心部の国泰寺町に下宿していた。2日前に商用で広島入りした父正規さんに「呉が空襲に遭い、次は広島だ。大事な専門書は疎開させておけ」と勧められ、10冊を三次市内の遠縁の家に運ぶことにした。広島駅で列車を待つうちに、午前8時15分を迎えた。

 爆撃が続くかもしれないと考え、逃げてくる被爆者の人波に合流して郊外へと歩いた。戸坂駅から芸備線に乗り、三次へ。3日後に戻った下宿は、跡形もなかった。下宿に残っていた正規さんは、息子の身代わりのように、8月16日に息を引き取った。

 「父の助言、芸備線で行ける三次に親類がいたこと、朝早い便を選んだこと。いろんな偶然や運が重なって生かされた」と吉村さん。油絵は、原爆資料館(広島市中区)の地下で大切に保管されている。(馬場洋太)

(2015年5月28日朝刊掲載)

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