×

ニュース

被爆63年式典 広島市長平和宣言 核兵器廃絶は多数派の声

■記者 黒神洋志

 米国による原爆投下から63年を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園で原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)が営まれ、昨年より5000人多い4万5000人(市発表)が参列した。秋葉忠利市長は平和宣言で、核兵器廃絶を求める声は世界で多数派だとして「必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力」と強調した。

 早朝から日差しを薄雲がさえぎる。時折風も吹くなか、式典は午前8時に始まった。秋葉市長と遺族代表2人が、この1年に亡くなったか死亡が確認された5302人の名前を記した2冊の原爆死没者名簿を原爆慰霊碑に納めた。名簿は計93冊、計25万8310人となった。

 あの日と同じ8時15分。遺族代表の西寿実さん(47)=西区=とこども代表の川内小六年倉西桃子さん(11)=安佐南区=が「平和の鐘」をつくと参列者は起立し、1分間の黙とうをささげた。

 秋葉市長は平和宣言の中で、「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」とする言葉を「真理」と呼んだ。市が新たに進める原爆の精神的影響などの科学的調査も、それを裏付けるとした。

 さらに米国の核政策の中心を担ってきた指導者さえ核兵器廃絶を支持しているとの認識を示し、11月に迫った米大統領選で「多数派の声に耳を傾ける新大統領が誕生することを期待する」と、超大国の変化を促した。

 今年4月、2368都市が加盟する平和市長会議が発表した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」は廃絶目標を2020年に定めている。秋葉市長は具体的な道筋は提示されたとして、議定書の国連総会採択に向けた働きかけを政府に求めた。

 続いて、こども代表の吉島東小6年本堂壮太君(12)=中区=と、幟町小6年今井穂花(ほのか)さん(11)=西区=が読み上げた「平和への誓い」。原爆の記憶や核兵器への憤りが薄れていることに危機感を示し、継承への決意を力強くアピールした。

 40都道府県の遺族代表や過去最多の55カ国の大使や参事官が出席。首相としては初めての福田康夫首相は「非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていく」とあいさつ、総合的な被爆者援護を実施するとした。

(2008年8月7日朝刊掲載)
動画はこちらから

平 和 宣 言

平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡(のうり)に、63年前がそのまま蘇(よみがえ)る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」---被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰(だれ)にもさせない」ための決意を新たにする日です。

しかし、被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過少評価され、未だに被害の全貌(ぜんぼう)は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2か年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生れた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

昨年11月、科学者や核問題の専門家などの議論を経て広島市がまとめた核攻撃被害想定もこの真理を裏付けています。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全(すべ)ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生れています。市民が都市単位で協力し人類的な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します。

また来月、我が国で初めて、G8下院議長会議が開かれます。開催地広島から、「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待しています。

被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓います。

2008年(平成20年)8月6日
広島市長 秋葉 忠利

平和への誓い

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
突然のするどい閃光と爆風で、数え切れない多くの尊い命が失われました。
あの日、建物疎開や工場で働くために出かけていった子どもたちは、63年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。原爆は、こんな当たり前の毎日を一瞬で奪いました。

  原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。
放射線の影響で突然病に倒れる人。
あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。
大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。

でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。
今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。

忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒りは、年々人々の心から薄れていると思います。しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。
この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。

失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。
事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。

また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、深い祈りの中にある広島に来てほしいと思っています。ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。
そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。

みなさん、見ていて下さい。
私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。

平成20年(2008年)8月6日
こども代表
広島市立幟町小学校6年 今井 穂花
広島市立吉島東小学校6年 本堂 壮太

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。 今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 63年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。 私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜(たまもの)と考えます。

 国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和への途を歩んでまいりました。

 広島は平和の象徴です。 昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材育成センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。

 平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。

 そして本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

 また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を充実してまいります。 本年3月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。 さらに、6月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。 今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。

 結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。

平成20年8月6日
内閣総理大臣 福田 康夫

広島平和記念式典に寄せる潘基文国連事務総長メッセージ

2008年8月6日、広島
セルジオ・ドアルテ国連軍縮担当上級代表が代読

広島平和記念式典には、毎年恒例の儀式をはるかに越える意味があります。それは広島市民の皆様と全世界の人々が、核戦争の最初の犠牲者を追悼し、核兵器のない世界を実現するためには何が必要かを深く考える機会なのです。悲しみや苦悩の中から、私たちがともに、新しい平和と安全の時代に向かって歩を進めていけるという新しい希望が生まれるかもしれません。このような希望を抱ける根拠は多くあります。

核軍縮を進める必要性に対する世界の認識は、何年かぶりに高まっています。これを支持する声は、全世界のさまざまな人々から幅広く寄せられています。教育者や宗教指導者、新旧の政府高官、非政府組織(NGO)、ジャーナリスト、市長、議員その他の数限りない人々が、単に軍縮を言葉で主張するだけでなく、この目標達成に向けて積極的に取り組んでいます。

私は毎年、この式典への子どもたちの参加を大いに歓迎しています。子どもたちはやがて、過去の記憶を胸に刻みつつ、核兵器のない世界を目指して集団的な取り組みを続ける責任を担うからです。

私は広島、長崎両市長の指導力にも謝意を表したいと思います。「平和市長会議」を通じた両市長の取り組みは、全世界で認識され、また尊敬されています。国連人口基金は最近、都市人口が史上初めて、世界の多数派を占めるようになったことを発表しました。よって、核兵器が二度と使われないようにすることは、全世界の市長にとっても当然の利益となるはずです。そして、この目標を達成する最も確かな方法が、核兵器の廃絶であるという理解も広がっています。

この厳粛な場で、私は老いも若きも、広島の全市民の方々に、最も深い敬意を表したいと思います。私は皆様とともに、過去を記憶に留めながら、核兵器のない平和で安全な世界を実現するため、皆様をはじめ、あらゆる人々と手を携えていく決意を確認いたします。

年別アーカイブ