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連載・特集

地場産業の戦後70年 <1> エネルギー 原爆が消した 事業統合

ガス 規模のメリット 機会逃す/電力 石油危機 石炭火力へ比重

 戦後、中国地方の各産業は復興を果たし、高度経済成長も経験した。石油危機やバブル崩壊など幾度もの転機を迎えながら、地域の人々を支え続けた。そして今、人口減少や経済のグローバル化など新たな局面に向き合う。戦後70年の歩みを業界ごとに関係者の証言を交えて振り返るとともに、今後の行方を展望する。

 中国地方には現在、12の都市ガス企業がある。もし広島に原爆が落とされていなければ、一つの会社になっていた可能性が高い。エネルギー産業の歩みも違ったはずだ。

 1945年8月5日。下関や岡山、松江など各市のガス事業者の幹部が、広島市の広島瓦斯(現広島ガス)本社に集まり、事業統合を決めた。戦時中の国の産業統制に沿った対応だった。翌6日、大手町の旅館に泊まっていた各社の幹部10人が被爆死した。統合は幻と消えた。

 「統合して会社の規模が大きくなっていれば、設備投資や技術開発もやりやすかったかもしれない」。47年、広ガスに入社して後に社長を務めた徳永幸雄さん(90)が振り返る。

ガス管に泥水 投下1ヵ月後に台風

 原爆投下から1カ月余り後、広島を枕崎台風が襲う。焼け跡に埋もれたガス管に泥水が流れ込んで詰まった。作業員は管を掘り出して掃除し、埋め戻す作業を続けた。ガス原料の石炭不足にも悩まされ、1日2時間だけのガス供給の状態が続いた。

 戦後、電力不足も深刻だった。中国電力の元社長、多田公熙さん(92)は47年、前身の中国配電に入社し、宇部市の営業所に配属された。夕方になるとトラックに乗り、メガホンで「電気を消してください」と呼び掛けて回ったという。

 中国配電は主要な発電所を持つ日本発送電から電気をもらい送電していた。51年、日本発送電と全国の配電9社が再編され、中電が発足。発送電を一貫して担う会社に生まれ変わった。

資金繰り苦心 高度成長期 需要が急増

 50年代半ばから高度成長期に入ると、ガス、電気とも需要はうなぎ上り。各社は設備増強と資金繰りに苦心した。

 広ガスは導管を延ばし販売量は50~57年に3倍に急増。供給先は約3万4400戸と倍増した。58年、工程を自動化して高圧ガスを精製する海田工場(広島県海田町)を稼働した。

 だが度重なる投資は経営を圧迫する。徳永さんは63年、企画室に移ると故山口文吾社長から「再建3カ年計画を作れ」と命じられた。いつ倒産してもおかしくない状態と知った。

 中電も発電所を相次ぎ新設した。51~70年度の20年間の設備投資額は累計で3200億円に達し、発電設備の出力は約290万キロワットと4・5倍に。電源開発の資金を社員が毎月10円以上積み立てる運動も展開した。

 73年秋、日本は石油危機に見舞われる。中電は10%の節電を求め、広島市の繁華街からネオンの光が消えた。原油価格が急騰し、石油火力の割合が高かった中電は発足以来の大幅な赤字に陥る。故桜内乾雄会長は「会社発足以来、最悪の年」「破産寸前、万策尽きた」と嘆いた。

 中電は電気料金引き上げの手続きを急いだ。73年12月、企画室調査役だった多田さんは、通常なら作成に半年かかる国への申請書を2カ月で出すよう命じられる。担当者は徹夜続きでトラック1台分の資料を作成。74年6月に平均60・8%値上げした。

 中国地方初の原発、島根原発1号機(松江市)が営業運転を始めたのは、そんな時期だった。多田さんは「コスト削減に非常に役立ち、助かった」と明かす。

 広ガスも原料の液化石油ガス(LPG)やナフサの価格上昇を受け、74年10月に平均56・4%と大幅な値上げに踏み切った。

「大競争時代」 原発事故で自由化加速

 石油危機を機に各社は「脱石油」に踏み出す。広ガスは89年、地方の中堅都市ガス会社で初めて原料を液化天然ガス(LNG)に転換することを決めた。必要な費用の見込みは600億円と売上高の約2倍に上った。

 それでも当時、社長だった徳永さんは「今後、天然ガスが主流になる」と社運を懸けて推進した。新設の廿日市工場(廿日市市)は95年からLNGを原料にガス製造を始めた。

 中電は石油火力から石炭火力へシフトを強めた。89年2月には、島根原発2号機の営業運転を開始した。

 2000年代になると、地域独占の体制が続いていた電力、ガス業界が部分自由化される。自治体や企業の大規模な施設には、中電以外の特定規模電気事業者(新電力)が電気を供給するケースも出てきた。

 エネルギー産業を大きく揺るがしたのは、11年3月の東京電力福島第1原発の事故である。島根2号機など国内の全原発が現在も停止している。福島の事故後、原発の運転期間は原則40年とされ、中電はことし4月、島根1号機を廃炉にした。

 原発事故は自由化も加速させた。16年4月には、家庭用を含め電力の小売りが全面自由化される。参入を目指す広ガスは海田工場跡地に中電と組み、火力発電所の建設を検討中だ。

 さらに戦後生まれた発送電一貫の仕組みをやめ、発電と送電部門を分離することで競争を促進する電力改革も20年をめどに予定されている。エネルギー産業は業種やエリアの垣根を越えた「大競争時代」を迎えようとしている。(境信重)

エネルギー産業の主な出来事

1945年 8月 6日 広島市に原爆投下、広島瓦斯(現広島ガス)本社と広
            島工場が壊滅。
            中国地方のガス事業者の幹部10人が被爆死。中国配
            電の本社が全焼
  51年 5月    中国配電と日本発送電が合併し中国電力発足。全国で
            9電力会社が発足
  58年11月    広ガスの海田工場が操業開始
  66年 7月    日本初の商業用原発の東海原発が茨城県東海村で営業
            運転開始
  73年11月    石油危機を受け、中電が10%の節電要請
  74年 3月    中電の島根原発1号機が営業運転開始
      6月    中電が平均60.8%値上げ
     10月    広ガスが平均56.4%値上げ
  77年12月    下関瓦斯と山口瓦斯、小野田瓦斯が合併し山口合同ガ
            スが発足
  89年 2月    島根原発2号機が営業運転開始
      5月    広ガスが地方の中堅都市ガス会社で初めてLNG導入
            を宣言
  95年 6月    広ガスが廿日市工場でLNGを原料にガス製造開始
2000年 3月    電力小売りの部分自由化開始
  02年 4月    広ガスが天然ガス転換を完了
  06年11月    広ガスと福山ガスが出資する瀬戸内パイプラインが建
            設していた倉敷市と福山市を結ぶLNGパイプライン
            「水島福山幹線」が完成
  11年 3月11日 東日本大震災が発生。東京電力の福島第1原発事故
  12年 7月    再生可能エネルギーの「固定価格買い取り制度」開始
  15年 3月    中電と広ガスが広ガスの海田工場跡地に火力発電所の
            建設を検討すると発表
  15年 4月    島根原発1号機が廃炉
  16年 4月    電力小売りの全面自由化

毎週土曜日に掲載します。

(2015年5月30日朝刊掲載)

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