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社説・コラム

天風録 「後払いの美術館」

 信州上田の無言館。収蔵される戦没画学生の遺作を見るのは初めてだった。薄暗い館内を進んでおやっと思った。一番奥に受付があり、鑑賞料は後で支払う▲あるじの窪島誠一郎さんによると、斯界(しかい)の権威に褒められたくて描かれた絵は一つもない。20年にわたり遺族を訪ねて集めてきたが、多くは自画像であり愛する者の肖像である。長い間に顔料が落ちた絵もある。ゆえに鑑賞の対価は見る側に委ねた▲むろん、入り口に逆戻りする「ただ見」もなくはない。だが、絵を見た後に受付で一瞬足を止めたなら、さまざまな思いがよぎるはず。自分を振り返る時間といえばいいか▲<私は十九歳。何だか、みんなに見つめられているようで……どうしようと思いました>。こんな感想文にあるじは和む。慰霊美術館と冠しているが、「青春美術館」と呼んだっていい。決してかわいそうな画学生の絵を並べたんじゃない、という▲鋳金を志した出雲の人、小柏(おがしわ)太郎の従軍手帳には食べたい物の番付が記されていた。<ゾーニ ボタモチ テンプラ…>。信州からの帰路、腹膨れるほどの名詞の行列を思い出し、70年前でも若者なんだ、と心和む。後で染みいる美術館である。

(2015年6月8日朝刊掲載)

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