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連載・特集

レンズはとらえた戦後70年 復興のシンボル 1957~58 都心部 にぎわいと祈り

 1957年10月、日本は国連安全保障理事会の非常任理事国に初めて当選した。前年に80番目の国連加盟国となったばかり。終戦から12年、めざましい経済発展だけでなく、国際社会でも存在感を示し始めた。

 広島でも復興の歩みが加速した。58年には平和記念公園などを会場に「広島復興大博覧会」が50日間開かれた。原子力科学館や宇宙探検館など30館がオープンし、約100万人が訪れた。呼び物として再現された広島城の天守閣は大人気だった。

 広島カープの本拠地、広島市民球場も完成した。隣接してオープンした広島バスセンターは中心部に乗り入れていたバス会社10社の発着場を集約。球場とバスセンターが並び立つさまは復興の象徴でもあった。広島駅前にはロータリーが整備され、乗用車やバスが行き交った。

 平和記念公園では58年5月5日、子どもたちの運営で原爆の子の像の落成式が執り行われた。公園中に響き渡った鐘の音が「ノーモア・ヒロシマ」の願いを代弁した。(村上昭徳)

(2015年6月10日セレクト掲載)

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