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社説・コラム

社説 安保法案と憲法 根本の疑義 無視できぬ

 安全保障関連法案は「違憲」という憲法学者の指摘に政府は謙虚に耳を傾けねばなるまい。

 先日の衆院憲法審査会で、参考人3人の認識が一致した意味は重い。とりわけ長谷部恭男・早稲田大教授は自民党の推薦にもかかわらず、昨年7月の閣議決定で認めた集団的自衛権の行使について憲法違反だと明快に語った。大方の憲法学者にとり常識的な受け止めなのだろう。

 さすがに安倍政権も慌てたとみえる。急きょ政府見解を公表し、法案は合憲だと反論した。「これまでの憲法解釈との論理的整合性や法的安定性は保たれている」としたが、従来の主張を繰り返したにすぎない。

 安倍晋三首相は今国会で成立を目指す姿勢は変えていない。しかし平和憲法の根幹に関わる重要な法案である。そこに疑義が残ったまま前に進めていいはずがない。

 安倍政権の本音が語るに落ちる格好になろう。長谷部氏らの指摘を受けて、中谷元・防衛相は「憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのかという議論を踏まえた」と国会で述べた。つまり政府方針に沿った法律を作るため、憲法を都合よく解釈したと受け取れる。

 憲法は最高法規であり、その下に法律を作らなければならない。暴走しがちな国家権力を縛るためである。きのう中谷氏自身が撤回に追い込まれたとはいえ、それで済む話だろうか。

 ここに至る経緯をいま一度振り返りたい。歴代内閣は日本への武力攻撃があって反撃する個別的自衛権の行使は認めてきた。一方で自国への攻撃もないのに他国の戦争に加わる集団的自衛権の行使は9条との関係で自ら禁じてきた。仮に認めたいなら憲法改正が必要という内閣法制局の明確な見解があったにもかかわず、安倍内閣は長年の解釈を大きく踏み越えた。

 今回の問題は法案そのものが抱える問題点をあらためて浮き彫りにしたといえるだろう。

 なのに新たに示された政府見解は反論になっていない。例えば合憲とする根拠に砂川事件をめぐる1959年の最高裁判決を挙げた点も首をひねる。

 「自国の平和と安全を維持し、存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得る」との判決文を逆手に取って「個別的」「集団的」を問わず自衛権の行使ができるとの理屈のようだが、果たしてそうだろうか。この判決は日米安保条約に基づく米軍駐留が合憲か違憲かを争ったもので集団的自衛権については全く触れていないからだ。

 安倍首相らは集団的自衛権の行使容認の理由として、安全保障の環境が厳しさを増したからだと強調している。たとえ看過できない事態だとしても、時の政権が安易に憲法解釈を曲げていい理由になるだろうか。憲法はそれだけの重みを持つ。

 憲法下でこの法案が許されるか。その原点から国会で議論し直すべきではないか。

 法案審議は政府、与党の想定に比べて明らかに停滞する。今国会の大幅な会期延長を検討し始めたのは焦りの証しだろう。与党内にも慎重意見が出てきた。世論調査では政府の説明が不足しているとする国民が大半を占める。たとえ数カ月延ばしたところで国民の理解を得られるとは思えない。少なくとも数に頼った採決は論外である。

(2015年6月11日朝刊掲載)

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