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社説・コラム

『この人』 広島県被団協の理事長に就いた 佐久間邦彦さん 

被爆者の力 結集へ覚悟

 「生きている間に核兵器廃絶を見届けたい」。12日、広島市中区であった広島県被団協の総会で、1月に89歳で亡くなった金子一士さんの後任の理事長に就任。「若い被爆者」として、切実な願いを訴えた。

 原爆投下時は生後9カ月。爆心地から約3キロの己斐西中町(現西区)の自宅縁側で被爆し、母親に背負われて逃げる途中に「黒い雨」を浴びた。10年ほど後、腎臓や肝臓を相次ぎ患い、小学校を休みがちに。病床に届く同世代の子どもたちの遊び声が恨めしかった。ただ、数年で体力は回復。被爆者として意識するようになったのは、20歳すぎに井伏鱒二の「黒い雨」を読んでからだという。

 いったん首都圏で働いた後、三菱重工業江波工場(中区)に勤め、資材管理などを担当。被爆者運動と関わることもなかった。転機は退職した翌2006年。「ボランティアをするなら被爆者の役に立ちたい」と知人に漏らすと、県被団協の被爆者相談員を紹介された。初めは「自分に務まるのか」と気乗りしなかったが、心身の苦しみを涙ながらに訴える人たちに向き合ううち没頭した。「原爆の非人道性を思い知らされて」。核兵器廃絶の訴えや原発事故の被災者支援にも力を入れ始めた。

 この4月には、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて渡米。被爆国政府が核兵器禁止にブレーキをかける姿を見た。「今こそ、被爆者は力を結集し、核兵器禁止の声を強く、太くしないと」。もう一つの県被団協(坪井直理事長)との統一を提案する口調に覚悟をにじませた。西区で妻、長女と3人暮らし。(田中美千子)

(2015年6月13日朝刊掲載)

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