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社説・コラム

天風録 「70年前の6月、広島」

 「新天地タンジヨウ」の片仮名遣いが郷愁を誘う。中国新聞セレクトで復刻連載中の随筆「がんす横丁」シリーズ。往年の名文家が広島の一大盛り場、新天地の焦土と化す前の日々を戦後記した。「サッソウたる」「カガヤイた」も慣れると悪くない▲<こちらは静(しずか)で、映画も芝居も満員、食物屋なぞもチラチラあり驚きます>。移動演劇桜隊の女優仲みどりが広島で荷を解き、東京の母に手紙を書いたのは70年前の今時分である。江津(えづ)萩枝著「櫻隊全滅」から引いた▲移動演劇は疎開でもある。帝都までが空襲に遭う中、軍都広島は無傷だった。げた履きで行ける新天地の活気に女優も一息ついただろう。それが2カ月もしないで、ピカに焼かれようとは▲核開発の地を国立歴史公園にする計画に、原爆資料館の館長が先日渡米して一言もの申した。「きのこ雲の上からの視点だけでなく、地上にいた人間の視点を大切にしてもらいたい」と▲「がんす横丁」には、ゆかりの舞台人として被爆死した桜隊隊長丸山定夫の名も見える。仲も原爆症に苦しみ後を追うように逝く。ピカは彼らの舞台も命も奪った。核大国が自説を曲げないなら、文明という舞台に立つ資格はない。

(2015年6月18日朝刊掲載)

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