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原爆で「爆焼死」の父と、震災被災者重ね

■記者 野田華奈子

命の尊さ 検視書類で訴え 

 元小学校教諭で被爆者の山際節子さん(83)=府中町=が、原爆で行方不明となった父党一(まさいち)さん=当時38歳=を検視したと記した書類を初めて公開する。約10年前に自宅で見つけたが、東日本大震災の惨状を前に命の大切さを伝えたいと決断した。26日に中区のNHKギャラリーで始まる企画展に出す。

 「変死者検視調書」は縦24センチ、横18センチ。発行日は昭和20年(1945年)10月1日とあり、広島県東警察署検視官巡査部長名で死因を「爆焼死」としている。書類には遺体を妻に引き渡したと記されているが、本当は原爆が落ちて以来、父の消息はつかめていない。

 山際さんは「何らかの事情で父の死亡を証明する必要があった母が、警察に書いてもらったものではないだろうか」と推測する。

 山際さんは当時17歳の女学生。一家は佐伯郡八幡村(現佐伯区)に疎開していた。県職員の父はそこから出向先の東千田町の中国地方総監府に通った。

 あの日、父はいつも通り出勤した。だが、帰宅しなかった。父を案じた山際さんは翌日から約2カ月間、市内に入った。負傷者の収容所や遺体の焼却場所などを訪ね歩いたが、見つからなかった。

 戦後、父は行方不明のまま。山際さんは長年気持ちの整理ができずにきたが、ことし3月の大震災を目の当たりに「命は本当に大切だと分かってほしい」との思いが募る。

 家族の消息がつかめない震災の被災者と、自分の境遇を重ね合わせ「戦後66年を経ても検視の書類を見るとつらく悲しいんだから」と山際さん。その思いを伝えようと書類の公開を決めた。企画展は「ひろしまを語り継ぐ教師の会」の主催。31日まで。

(2011年7月26日朝刊掲載)

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