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姉の日記に無念さ宿る 13歳で被爆死 生前の思いつづる 

■記者 鈴中直美

熊野の宮本さん 観音中に寄贈

 熊野町城之堀の刻字教室主宰宮本輝男さん(67)が、建物疎開中に13歳で被爆死した姉の生前の日記を28日、観音中(広島市西区)に寄贈する。姉活子さんは観音中の前身、第二高等小の2年生だった。「一瞬で命を奪われた姉の無念さを同世代の子どもたちに感じてほしい」。日記に思いを託す。

 日記は1945年4月18日から原爆投下4日前の8月2日までの日付で、国語ノートにつづられている。

 「まんじゅうの配給があって弟妹などに同じように分けておいしくいただいた」(4月20日)。「仕事も一生懸命にし、勉強も一生懸命にしなければ…今日から工場から帰ったら毎日書き取りをすることにした」(5月29日)。「今朝敵機が広島の上空をせんかいして行った。私が男であると航空兵に志願した」(6月26日)。

 きょうだいげんかの様子や、弟が疎開した時の寂しさなども書いている。

 活子さんは4男5女の9人きょうだいで上から6番目の四女、宮本さんは末っ子。活子さんは雑魚場町(今の中区国泰寺町)で被爆したとされるが遺骨は見つかっていない。

 1歳2カ月だった宮本さんは中区江波東の自宅で被爆。兄たちから姉の思い出を聞いて育った。「もっと勉強もしたかっただろうし好きな男の子との出会いも経験したかっただろう」と宮本さん。

 4月、仏壇を整理中に日記のコピーが出てきたことがきっかけだった。宮本さんが観音中に自らの刻字作品を贈ろうと計画していたこととも重なった。「私たちの手元に置いておくよりも、姉の母校で平和や命の大切さを考える学習に役立てば」と寄贈を決めた。  観音中の中山昭彦校長は「貴重な資料。平和学習などで使わせていただく」と話している。

(2011年7月27日朝刊掲載)

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