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原爆献水 似島の井戸水 「野戦病院」旧軍検疫所跡 8・6 初の採用 

■記者 教蓮孝匡

住民が慰霊

 8月6日朝に原爆慰霊碑(広島市中区)にささげる原爆献水として、広島市は今年初めて南区似島町の旧陸軍似島第二検疫所跡の井戸水を採用した。被爆後に野戦病院となり多くの被爆者が収容され、命を失った第二検疫所。被爆から66年、地元住民が遺族の思いを胸に慰霊の水をささげる。

 「兄も最後に飲んだ水かもしれない」。南区翠の池田和之さん(76)は、兄昭夫さん=当時(14)=が鷹野橋付近で建物疎開中に被爆。似島に運ばれたと聞き、母と8月9日に島へ駆け付けたが、息を引き取っていた。

 船が確保できず、遺体を持ち帰れなかった。軍医が切断してくれた右手人さし指は中区の墓に納めた。池田さんは「今も悲しい思いは消えないが、兄に縁のある水が採用されてよかった」と語る。

 献水は午前8時から始まる平和記念式典に先立ち行われる。市民代表が、竹筒に入れた水を慰霊碑前に置かれたたるに注ぎ、水を求め亡くなった犠牲者を悼む。1974年から続く献水だが、採取場所はこれまで市内16カ所で、似島がある南区だけがなかった。

 検疫所は1904年、日露戦争を機に島の東海岸に完成。原爆投下後に野戦病院となり、閉鎖される8月25日まで推定1万人が運ばれた。現在は市似島臨海少年自然の家が立つ。敷地内の井戸は今も水をたたえているが、使われていない。

 当日は地元代表として元県職員の宮崎佳都夫さん(63)が井戸水を慰霊碑に手向ける。宮崎さんは入市被爆した父から聞くなどした島の歴史を、修学旅行生に語る活動を続けている。「当時は家族を捜しに多くの人が島に詰め掛けた。亡くなった被爆者や遺族を思いながら水をささげたい」と静かに話している。

(2011年7月27日朝刊掲載)

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