×

社説・コラム

社説 日韓国交正常化50年 まずは政治が機能せよ

 日本と韓国は国交正常化から、きょう50年の節目を迎えた。だが今、その関係の冷え込みは過去最悪といって差し支えなかろう。国交のある隣国の首脳の単独会談が、3年半も行われていないのは異常事態だ。

 今の日韓関係では、外交を含む政治が機能を果たしていない。それだけに、きのう東京都内で両国外相が会談したことは朴槿恵(パク・クネ)韓国政権の最近の「2トラック」政策の表れとして一定の評価ができよう。2トラックには歴史認識や領土の対立を切り離すという意味がある。

 慰安婦問題などをめぐっては彼我の隔たりは大きいものの、外相会談が開かれたこと自体の意義は小さくない。これをてこに、両国政府は一日も早く首脳会談を実現させるべきだ。東アジアの安定と発展のためには、大きな枠組みの中で一つずつ懸案を解決するしかあるまい。

 そもそも1965年の日韓条約の締結と国交正常化は、東西冷戦時代の極東情勢を背景にしている。いわば日米安全保障条約とセットになった、対ソ連の「反共防波堤」でもある。

 朝鮮戦争で国土が焦土と化した韓国は日本の経済協力を必要としていた。経済協力との見合いで両国間の賠償請求問題は解決済みとされたのだ。だが、当時は朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の軍事政権下だっただけに、両国内で野党や学生の抗議行動も激しかった。

 その後、過去の植民地支配に対する自国民の不満を封印し、韓国は経済成長と民主化の時代に至る。そこに歴史教科書問題や慰安婦問題の伏線があろう。

 それでも96年にはサッカーワールドカップの日韓共同開催が決まり、2年後には小渕恵三首相と金大中(キム・デジュン)大統領の間で「日韓パートナーシップ宣言」が結ばれた。両国にとってよき時代に見えたが、同時にポピュリズムが台頭する時代となっていく。

 2012年に当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が島根県竹島(韓国名・独島(トクト))に上陸し、日本では嫌韓、韓国では反日の空気をあおった。その事態を修復する力量に欠けるのが今の政治である。安倍晋三首相と朴槿恵大統領の間では意思疎通が図られず、その意欲さえ伝わってこなかった。

 日韓両国にとって関係が冷え込んで得られるものは何もないはずだ。財務、防衛、観光など分野別閣僚級の日韓協議は定例化の方向で動きだしている。お互いに共通の政策課題を抱えていることの反映である。

 とりわけ東アジアの政治的安定には欠かせないパートナー同士だ。中国の海洋進出や核・ミサイルの開発を続ける北朝鮮の脅威など、地域安全保障の上で足並みをそろえるべき課題は山積している。核拡散防止条約(NPT)再検討会議でも、同じ非核保有国として同一歩調を取るべき局面も出てこよう。

 「明治日本の産業遺産」に関する世界文化遺産登録問題で生じた対立では、ここにきて歩み寄りの兆しも見えてきたようだ。わが瀬戸内海にゆかりのある江戸時代の「朝鮮通信使」の記憶遺産登録を目指す動きも、本物にしたい。先人の平和外交という形なき遺産を共有することが、両国関係には必要だろう。

 政治が機能すれば、価値観の共有を支えることもできるのではないか。共有できる文化があれば、「次の50年」を切り開く手掛かりが得られよう。

(2015年6月22日朝刊掲載)

年別アーカイブ