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社説・コラム

『言』 第2次大戦の教訓 相互理解の外交 構築を

◆吉川元・広島市立大平和研究所所長

 終戦から70年の夏。過去の戦争に関する認識が国内外でさまざまに問われている。その中で第2次世界大戦の全体像を捉え直し、その歴史と向き合った上で教訓をあらためて引き出す議論は十分とは思えない。国際政治学者で広島市立大平和研究所の吉川元・所長(64)に、大戦を顧みることが現代のどのような課題に通じるのかを聞いた。(聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・今田豊)

 ―まず第2次大戦の被害を振り返っていえることは。それまでの戦争とは、どう違っていたのでしょう。
 全世界の犠牲者数は約6500万人と第1次大戦の5倍に達しました。理由は戦闘機、爆撃機、ミサイルなど兵器の機械化が加速したこと。そして非戦闘員である一般市民が巻き込まれる無差別攻撃が横行したことです。軍事施設と市街地の区別なく、空爆で多数が殺されるという極めて残虐な手法がまかり通りました。その最たるものが広島・長崎への原爆投下です。

    ◇

  ―まさに戦争の非人道性を象徴しています。
 大戦中に日本人は野蛮な人種という偏見が強まり、人間として扱わなくていいという米国の差別意識が根底にあったと私は思います。広島は軍都だったから、というのが一般的な見方ですが、それだけではない。

  ―逆に日本によるアジアへの加害をどう考えますか。安倍晋三首相の戦後70年談話の内容が注目されています。
 日本がアジアに対して行ったのは間違いなく侵略戦争です。どんな理由であれ、他国の領域を武力を行使して奪うというのは、侵略以外の何ものでもありません。

  ―ではなぜ「侵略ではなかった」という声が、今も出るのでしょう。
 戦後の東京裁判で日本を擁護したインドのパール判事の思想があるのでしょう。「日本が裁かれるのであれば、先にアジアを植民地化した欧州諸国は許されていいのか」という考えです。しかしこれも侵略行為を正当化できるものではない。また終戦間際に起きた原爆の悲劇性が大きく、日本がアジアに何をもたらしたのか顧みられることよりも被害者として非戦を誓う意識が広まった。結果として戦争が十分に総括されないまま70年が過ぎたのかもしれません。ただ、先の大戦の歴史を現代の教訓にしきれていないのは、日本だけではないのです。

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  ―具体的には、どういう事実を指すのでしょう。
 第2次大戦の原因は、ドイツ・ナチス政権による領土拡張でした。ザールラントなど旧ドイツ領の「失地回復」がうたわれました。ドイツ系住民を保護する、という名目でナチスは住民投票を行わせ、圧倒的多数の支持でドイツ帰属が決まったのです。これとうり二つのことが、ロシアによるウクライナのクリミア併合で起きました。

  ―大戦前と似た状況がいま起きている、ということですか。
 はい。欧州で極端な民族主義が復活しつつあるのが気になります。さらに南シナ海の南沙諸島など、アジアで領有権をめぐる問題が持ち上がっている。もちろん紛争がすぐ起きるとは思いません。ただ軍事的バランスが崩れた時、その先は危ない。あの大戦の悲劇から何を学んだのか、と暗たんたる気持ちになります。

  ―これからの日本外交の在り方にも関わってきますね。
 国会での安全保障関連法案の審議の行方が気になります。国を守るためには米国との軍事協力を密にしなければということなのでしょう。けれど軍事力に頼れば、かえって緊張を招くこともあります。第2次大戦で戦ったドイツやフランスなどは戦後、石炭と鉄鋼の共同管理機構をつくり、隣国と争うことが国益にならない仕組みにしました。これが欧州連合(EU)の原点なのです。

  ―中国をはじめ、アジアとの関係をどう考えていけば。
 日本も大戦の教訓をもっと生かさなければ。東アジアでの共同体をつくり、多国間主義を醸成する必要があります。相互理解の外交を立て直し、戦争しても得にならない状況をつくる。それが最大の教訓であり、今からの政治の責務だと思うのです。

きっかわ・げん
 広島市安佐北区生まれ。一橋大大学院博士課程(法学)単位取得退学。広島修道大教授、神戸大教授などを経て、13年4月から現職。専門は平和研究、国際関係論、予防外交論。著書に「国際安全保障論―戦争と平和、そして人間の安全保障の軌跡」。

(2015年6月24日朝刊掲載)

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