×

社説・コラム

防長トーク 岩国空襲を語り継ぐ会事務局長・森脇政保さん 郷土の戦争 風化を防ぐ

 海軍航空隊や陸軍燃料廠(しょう)があった岩国市は、終戦前日の1945年8月14日にJR岩国駅周辺が空襲に遭うなど、同年3月以降に相次いで米軍の攻撃を受けた。戦後70年のことし、市内の空襲体験者たちでつくる「岩国空襲を語り継ぐ会」は、空襲前の岩国駅前の町並みを地図で復元した。事務局長の森脇政保さんに、体験継承の取り組みなどについて聞いた。(増田咲子)

 ―岩国駅前の町並みを地図で復元する活動のきっかけは何ですか。
 戦争体験の風化が叫ばれる中、地図を通して子や孫に郷土の戦争について伝えることが使命だと思ったから。以前から地図を作りたいという話はあった。本格的に動きだしたのは昨年4月、岩国駅前に住んでいた女性が手描きの地図を寄せてくれたのが契機となった。

 ―復元はどんな作業になりましたか。
 協力してくれた人は約25人に及んだ。「今やらなければ永久に復元できない」というのが共通した思い。中には泣きながら空襲体験を語ってくれた人もいた。70年たっても身内を失った怒りや悲しみが消えていない、とあらためて感じている。

 地図は5月に市内であった「原爆と戦争展」で展示した。その後も情報が寄せられており、年内には完全に仕上げたい。

 ―森脇さん自身の空襲体験を教えてください。
 45年7月24日、岩国市沖の柱島で米軍機の攻撃を受けた。当時、12歳の軍国少年だった。あの日、爆音がしたので状況を確認しようと外へ出た時、米軍機の弾が頭の上をかすめ、背後の民家の一部を壊した。近くの黒島でも同じ日にあった攻撃で、防空壕(ごう)に避難していた国民学校の多くの児童が亡くなっている。子どもまでもが狙われる戦争は絶対に許せない。

 ―国会で安全保障関連法案の審議が進められています。
 日本が戦争に巻き込まれるのではないかと危惧している。今、日本は大事な時だ。戦争を知らない若い世代に、戦争の悲惨さを伝えなければならない。そういう思いに駆られている戦争体験者は多い。

 ―今後、どのような活動を考えていますか。
 2009年に岩国空襲の証言集を作った。「再び作ってほしい」という声もある。実際に手記も寄せられている。二度と戦争を繰り返してはいけないという思いを、しっかり継承していきたい。

もりわき・まさやす
 岩国市柱島出身。岩国高を卒業後、日本製紙岩国工場に定年まで勤務した。岩国空襲を語り継ぐ会が発足した2006年から、事務局長を務める。

(2015年6月29日朝刊掲載)

年別アーカイブ