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社説・コラム

『言』 核と日本人 憎みつつ利用でいいのか

◆神戸市外国語大講師・山本昭宏さん

 被爆地の願いである核兵器廃絶。その道はいまだ遠く、一方で原発の「安全神話」は崩れ去った。戦後70年、私たちは原子力とどう向き合ってきたのか。神戸市外国語大講師の山本昭宏さん(31)は近著「核と日本人」で漫画や映画などのポピュラー文化の中に核をめぐる表現や言説の変化を追った。「若者も多様な作品を通じて関心を抱き、核への態度を自問してほしい」と呼び掛ける意味は。(論説委員・田原直樹、写真も)

  ―「原爆の恐ろしさを学ぶ一方で、私たちは楽しんでもきた」という著書の記述には驚かされます。
 原爆は多くの人命を奪う非人道的な兵器です。でも戦後しばらくはGHQ(連合国軍総司令部)の検閲もあって被害が十分知られず、漫画に「原爆投げ」などの表現も見られました。核エネルギーと正義の味方を結び付けた国民的ヒーロー「鉄腕アトム」も登場します。放射線被害が知られてくると「薄幸の被爆者」が描かれ始め、さらに怒りも。「はだしのゲン」が発表されます。映画「ゴジラ」もヒットしました。

  ―原爆や原子力をめぐる多様な意識が、ポピュラー文化に表れ、移り変わったんですね。
 現代にも見られます。漫画や映画の物語中、舞台設定を「核戦争後」としたり、世界を終わらせる仕掛けや道具立てに使われたり。それを私たちは受け入れている現実があるのです。

  ―そこに見るべきものとは。
 日本人は原爆や核にどういう態度を取ってきたのか。歩みを振り返ることが、今こそ大事です。米国の「核の傘」の下にある日本が、福島第1原発事故を経験しました。さらに安保法制が変わるかもしれない状況にある。核とどう向き合うのか、考えるときだと思います。

    ◇

  ―原子力の平和利用も米国からもたらされましたね。
 1950年代、米国の政策に追従して、日本は原子力発電を目指していきます。そこへ第五福竜丸事件が起き、兵器利用に強い拒否感が広がります。この後、「軍事利用はダメ」「平和利用はOK」という二つの流れが共存を始めるのです。

  ―なぜ平和利用を是認してしまったのでしょう。
 平和利用キャンペーンが新聞社などによって全国で展開されました。そういう時代状況で被爆者からも「平和利用を望む」「技術者になり原子炉を造りたい」との声がありました。

 ヒロシマや第五福竜丸は軍事利用の犠牲であって、核エネルギーを平和的に使えば、豊かになれる。そんな素朴とも言えるような、科学技術への信頼や期待があったのです。でもその頃、日本にはまだ原子炉は一つもなかった。なかったから、夢を見られたとも言えます。

  ―その後、日本や世界は何度も核の恐怖に直面しました。
 キューバ危機の際、核戦争による人類滅亡の危機が叫ばれましたが、やがて緊張は緩和します。70年代に入ると放射能への恐れが公害とともに語られ、原発は迷惑施設とされます。チェルノブイリ事故などが起きて、原発反対が叫ばれますが、日本国内の原発は増えていきます。原爆を憎みつつ、核の傘に守られ、原発の危険を認めながら安全神話を築く。二面的な態度を日本は取ってきたのです。

    ◇

  ―福島第1原発の事故を経験しても変わりませんか。
 事故を経験して「脱原発を」と声が上がる一方で、「絶対に安全な原発を」という姿勢に、政治や経済が傾く。やがてうやむやになり、原発のある日常に戻っていくのではないか。戦後の歩みとも重なります。被爆国なのだから「平和利用すべき」「核は手放すべき」という対立もあった。核や原発をめぐり衝突しながらも、次第に関心が薄まっていく。結果として答えは出ないまま温存される。それを繰り返してきました。

  ―被爆者も亡くなる中、核の恐怖への関心を喚起し、引き継ぐには何が必要でしょう。
 被爆体験の証言などをアーカイブとして残す活動も重要でしょう。でも若い世代を動かすには、ポピュラー文化も期待できるのではないか。核兵器や原発よる被害を描き、訴えかける良質な作品が増えるといい。核の危険を日常の問題と受け止めてくれるのではないでしょうか。

やまもと・あきひろ
 奈良県桜井市生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程修了。神戸大と関西大の非常勤講師も務める。専門は現代文化学、メディア文化史。著書に「核エネルギー言説の戦後史1945―1960 『被爆の記憶』と『原子力の夢』」、共著に「複数のヒロシマ」など。

(2015年7月1日朝刊掲載)

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