×

連載・特集

レンズはとらえた戦後70年 変わるベイエリア1963~64 重厚長大 広がる陸地

 高度経済成長時代を迎え、広島ではベイエリアの開発が進んだ。三角州の上、平地が少ないため新たな用地を海に求めた。仁保地区でも大規模な埋め立て工事があり、1966年には東洋工業(現マツダ)が宇品工場を完成させる。後に沖合も陸地となり、自動車を積み出す専用埠頭(ふとう)が建設された。現在も輸出基地として車が並ぶ。

 東洋工業の本社工場をまたいで猿猴川に架かる仁保橋は付近の道路の渋滞緩和を目的に建設された。一方で昔ながらの風情を残す下流の渡し船は、橋の完成とともに姿を消した。出島地区でも埋め立てが進められ、その後ベイエリアは大きく様相を変える。

 国内では64年10月、アジアで初めての五輪が東京で開催。聖火の最終走者は、広島に原爆が投下された45年8月6日に三次市で生まれた早大の陸上選手、坂井義則さんが務めた。海外では63年11月、米国のジョン・F・ケネディ大統領が遊説中のテキサス州ダラスで凶弾に倒れた。米国からの初の衛星中継で飛び込んできたのは、くしくもその映像だった。(村上昭徳)

(2015年7月1日セレクト掲載)

年別アーカイブ