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韓国の姿 撮り続ける 報道写真家・桑原史成さん 国交正常化50年 ソウルで来月展示 

 日本海を隔てて向き合う隣国、韓国。植民地支配という戦前の不幸な歴史を経て、日韓基本条約で国交を正常化してから、6月で50年を迎えた。島根県津和野町出身の報道写真家、桑原史成さん(78)=東京都江東区=は国交正常化前年の1964年に初渡航して以来、今も韓国取材を続ける。8月にはソウルでの写真展と韓国語版の写真集出版を計画している。(石川昌義)

 64年7月14日。桑原さんは初めて韓国の地を踏んだ日を鮮明に覚えている。水俣病問題を追う写真ルポでデビューした桑原さん。東京農業大を卒業した60年に熊本県水俣市を初めて訪れた日も、7月14日だった。「どちらも半世紀以上追い続けるライフワーク。偶然もあるもんだね」と笑顔を見せる。

 半世紀前の65年は韓国激動の年だった。6月22日の日韓基本条約調印に向け、韓国の学生を中心に、「植民地支配の清算」を急ぐ政府に反発が広がった。首都ソウルでは連日のデモ行進で負傷者が続出。10月にはベトナム戦争への韓国軍の派遣が始まった。

 「取材の原点は『分断国家の悲しみ』。朝鮮戦争の戦火を逃れて日本に暮らす農大の同級生が歌う韓国民謡の哀調が忘れられない」と桑原さん。冷戦構造が生んだ分断国家への関心は、後に取り組むベトナム戦争取材の原動力にもなった。8月5日にソウルで始まる写真展に出品する約170点のうち、ベトナム派兵をテーマにした作品は35点に上る。

 韓国渡航は半世紀で約100回。70年に結婚した妻も韓国人で、公私ともに最も身近な国だ。過去には国家が市民を弾圧し、多くの人々が傷ついた歴史を持つ。情報統制も厳格で、政府が民主化運動を武力で押しつぶした光州事件(80年)の現場には近づくことすらできなかった。

 桑原さんは、市民生活を活写する「銃後のカメラマン」を自称する。農村や漁村、ソウルの貧民街…。現在は世界有数の経済大国に成長した韓国の庶民史を切り取った写真も多い。比較的、取材が自由だった文化の分野では、伝統の陶芸や仮面劇をテーマにした。

 戦前に樺太(現サハリン南部)へ移住したまま、旧ソ連との「国交の壁」に阻まれて帰国できない人々や、十分な援護のない状態で暮らす在韓被爆者にも向き合った。「日本の植民地支配の負の遺産があちこちに残っている。竹島(韓国名・独島(トクト)=島根県隠岐の島町)に上陸するなど『反日政策』で政権浮揚を狙った李明博(イ・ミョンバク)・前大統領や、50年前に大統領だった朴正煕(パク・チョンヒ)。その娘の朴槿恵(パク・クネ)大統領も、戦前から続く呪縛に苦しんでいる」

 6月にも韓国に渡り、光州事件の犠牲者が眠る墓地を取材した。「韓国は一過性では済まされない重たいテーマ」。写真展を前に、大量のプリントと向き合う日々が続く。8月のソウルでの写真展と同テーマで、翌9月には、津和野町立桑原史成写真美術館での展示を計画している。

(2015年7月2日朝刊掲載)

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