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社説・コラム

『書評』 空が、赤く、焼けて 原爆が奪った幼き命つづる 79年出版故奥田さん手記を復刊 克明な記録 反戦訴える

 原爆が落とされた直後の広島で、子どもたちが死にゆく様子を克明に記録した単行本「空が、赤く、焼けて」が小学館から出版された。広島県大長村(現呉市)出身の奥田貞子さん(2011年に96歳で死去)が1945年8月7日から8日間、広島市内で見た光景をつづった日記を基に手記としてまとめ、核兵器と戦争の悲惨さを強く訴えかけている。79年に書籍化されたが、被爆70年を機に復刊した。(岡田浩平)

 奥田さんは原爆投下時、30歳。大長村におり、翌日から兄の子ども2人を捜すために広島入りした。

 8月12日ごろには、ひどいやけどをした4年生の兄と5歳の妹の最期を描く。両親が帰ってこないという2人に奥田さんがむすびを差し出すと、苦しそうに「お母様にもあげようよ」という妹。兄は「お母様には、お兄ちゃんのを半分残しておくから、みどりは心配しないでお食べ」。別れた後も気になって迎えに行くと、兄が妹を抱いたまま亡くなっていた。「なぜ、こんなかわいそうなことをしなくてはならないのか。いったいだれが戦争をはじめるのか」。そう悲痛な叫びを上げる。

 このほか、手をつないで死んだきょうだいに「二人を並べて寝かせ、この二人を一緒に焼いてください、とメモを置いた」こと。母と弟を自ら火葬した少年が「負けてもいい、戦争が終わった方が」と言い残して息を引き取ったこと。全13話に編集されている。

 奥田さんは60年から晩年まで山形県小国町にある基督教独立学園高で家庭科を教え、女子寮の舎監も務めた。毎夏、広島での体験を生徒に語り感動を呼んだという。

 最初に自費出版を持ち掛けたのは新潟大名誉教授の真壁伍郎さん(79)=新潟市東区。学園で学ぶ長女から話を聞き、日記をつけた小ぶりのノートを借りて読んだ。「胸をえぐられた。せめて私たちだけでも読めるようにと、出版に踏み切った」と振り返る。79年4月に「ほのぐらい灯心を消すことなく」の題で500部発行し、6月にすぐ増刷。11月には、キリスト新聞社から発刊された。

 今回、小学館へは、前広島市長の秋葉忠利さん(72)が復刊を提案した。「あの惨禍の中での、子どもたちの切なさ、温かさを描き、そのぶん原爆の悲惨さが浮かび上がる」と言う。小学館は、11年7月に奥田さんの葬儀で配られた4版を底本にした。

 核兵器も戦争もない世界を願っていたという奥田さんは初版の後書きにこう記した。「原爆が人間の歩みに何をもたらしたのか、ということを、かみしめ、見つめてゆきたい。この小さな記録によって、戦争という大きな悲しみを通して、私たちが何を考えなくてはならないのかを、私は今の若い人、戦争を知らない子どもたちにも伝えたい」

 全国の主要書店で扱っている。四六判、146ページ。1188円。

(2015年7月6日朝刊掲載)

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