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「原爆白書」運動の熱気に迫る 広島で資料展示 被害解明求めた故金井氏や広島大研究者 政府・国連への訴え記録

 国の責任において原爆被害の全容を明らかにし、公にするよう求めた原水爆被災白書作成運動。その中心にいた元中国新聞社論説主幹の金井利博氏(1914~74年)や広島大研究者たちの取り組みを紹介する企画展「原爆白書運動と広島大学」が3日、広島市中区の旧日本銀行広島支店で始まる。当時の熱気を伝える書類や書簡は、被爆70年を迎えるいま、現物資料を残し、伝えていく意義を再確認させる。(森田裕美)

 金井氏は1964年、広島市であった原水爆被災三県連絡会議で、被爆の実態を伝える白書作りを提唱。日本政府の責任で白書を作成し、国連へ提出するよう訴えた。その際のリーフレットが残る。「原水爆被害白書を国連へ提出の件」と題し、「原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか」との問い掛けで始まる。

悲惨さに視点置く

 原爆被害を、威力や国家の理屈ではなく、生身の人間にもたらす悲惨と捉えて知らしめよう、との視点は聞く人の心を打った。そこから、原爆被災資料総目録の発行(69年~)や爆心地復元運動(同)など大学、行政、メディアや市民をも巻き込んだ多様な取り組みへと広がった。作家大江健三郎氏も雑誌に白書運動を紹介し、世界平和アピール七人委員会や日本学術会議などにも支持が広がった。

 今回展示されるのは、金井氏が残し、遺族から広島大文書館に寄贈された書簡や書類をはじめ、同氏に影響を受けた元広島平和文化センター理事長大牟田稔氏(1930~2001年)、爆心地復元運動に取り組んだ広島大原爆放射能医学研究所(現広島大原爆放射線医科学研究所)の湯崎稔氏(1931~84年)の資料など。現物49点と、写真や年表、解説を加えたパネル66点から運動の歩みや精神、広がりをたどる。

 金井氏らは65年、当時の佐藤栄作首相に白書作りを求める要望書を送るなど、自国政府へ熱心に働き掛ける一方で、国連に直接的な働き掛けをしていたことも分かる。67年、ウ・タント国連事務総長(当時)の下で作成された「核兵器の使用の影響と、核兵器の獲得や開発を行う諸国の安全保障と経済的諸影響についての簡略な報告書」。日本から作成に協力した向坊(むかいぼう)隆東京大教授が金井氏に宛てた書簡からは、金井氏が向坊教授を通じ、広島の惨状を他の作成メンバーに訴えようとしたやりとりや報告書作りの経緯もうかがえる。

爆心地復元地図も

 政府や国連に働き掛ける一方で、金井氏は68年に当時広島大教授だった今堀誠二氏(1914~92年)らと発起人となり、原爆被災資料広島研究会を発足。あらゆる原爆被災関係の資料を集め、目録化した。展示では同会の設立趣意書や議事録、原医研とNHKが共同で68年から取り組んだ爆心地復元調査による地図なども並ぶ。

 同展は、研究者や新聞記者たちでつくる「核・被ばく学創成研究会」と、広島大文書館の主催。同文書館の小池聖一館長は、「被爆の実情を知る者がますます少なくなる中で、資料収集を通じて事実を残し、伝えようとした原爆白書運動の精神を感じ取ってほしい」と話している。

 入場無料。6日まで。9~15日は、内容を縮小し、東広島市の広島大中央図書館を会場に展示する。

(2015年7月3日朝刊掲載)

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