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気象台発 あの日 原爆投下当日の日誌や天気図など286点寄贈 広島市、来月50点を展示

 被爆70年に合わせ、広島地方気象台(広島市中区)は9日、原爆が投下された日の当番日誌や、ノンフィクション作家柳田邦男さんの「空白の天気図」の由来となった天気図を市に寄贈した。あの日の広島の様子を記録した貴重な資料。8月1~30日に当時、庁舎があった江波山気象館(中区)で展示される。(菊本孟)

 寄贈資料は、1879年に全国で初めて県立測候所として創設されてから、1946年ごろまでの全286点。うち、表紙に「昭和二十年 當番(とうばん)日誌 広島地方氣象(きしょう)台」と筆書きされた冊子は縦28センチ、横20センチ。気象観測に使った用紙の裏面に、予報や観測に当たった職員の名前、観測状況、引き継ぎ事項などを記し、ひもで閉じている。

 45年8月6日は3人が計6行分を記した。「八時十五分頃B29廣島(ひろしま)市ヲ爆撃」と、約3・6キロ北東での原爆投下を記録し、職員の被災状況や観測機器の故障を報告。「盛ンニ火事雷発生シ横川方面大雨降ル」との記述もある。同11日には軍事機密だった観測情報を「防空壕(ごう)ニウメル」と書き残し、終戦間際の混乱ぶりも伝えている。

 また、8月6日夕から17日朝まで広島上空の天気や風向などが記されていない「空白」状態となった全国の天気図もある。原爆により気象台は無線通信機器が壊れ、中央気象台(現気象庁)にデータを送信できず、広島の壊滅で電報も送れなかったためだ。

 広島地方気象台は87年に現庁舎に移転。90年に旧庁舎は市に移管され、2年後に江波山気象館となった。同館は今後、日誌の内容の調査を進め、特別展などで活用するという。気象台の永田洋二次長(57)は「被爆直後も観測を続けた当時の職員の『観測精神』を伝えていってほしい」と話した。資料展「ヒロシマと気象台」では、日誌を含む約50点を展示する予定。月曜休館。

(2015年7月10日朝刊掲載)

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