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社説・コラム

天風録 「タイサンボクの香り」

 平和記念公園南側の緑地帯に、人の顔ほどの白い花を付けた木がある。タイサンボク。モクレン科特有の甘い香りを「お母さんのにおい」と懐かしむ人たちがいる。広島戦災児育成所で暮らした思い出とともに▲原爆で家族を失った子どもたちが身を寄せた。広島市佐伯区皆賀の地に、戦後20年余りあった。「お母さんへの感謝は、今でも語り尽くせない」。出身者にかつて取材した時、「育ての親」に寄せる熱き思いを聞いた▲「父となれ、母となれ」。創設者の言葉通り、職員は子どもに接した。身の回りの世話からしつけまで。今も切れぬ「親子」の絆を育んだ。花の香りは当時を思い起こさせる▲翻って今、児童虐待や家族同士のいたたまれない事件が絶えない。自分の子どもなのにどうして―。育成所の、かつての「母」は嘆いていた。「敏感な子どもの心に、真っ正面から向き合っていますか」と問いながら▲被爆70年の節目に、育成所の歩みは舞台になる。演じるのは、毎年のごとく原爆をテーマにしてきた舟入高演劇部。当たり前の家族の営みを一瞬にして奪い去る、戦争の不条理を伝えるために。タイサンボクが花を落とす頃、広島は本格的な夏を迎える。

(2015年7月10日朝刊掲載)

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