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連載・特集

地場産業の戦後70年 コンビナート 化学業界に再編の大波 

軍燃料廠跡に初の製油所 石油危機で新素材へ転換

 そそり立つ銀白色のプラントが輝いていた。1957年3月17日。出光興産の創業者、故出光佐三氏が完成したばかりの徳山製油所の加熱炉に点火すると、煙突から煙が立ち上り、歓声と拍手がどっと湧いた。今の周南コンビナートにつながる初めての施設が産声を上げた瞬間だった。

 戦時中、空襲で荒廃した徳山海軍燃料廠(しょう)跡の国からの払い下げを受けた。出光にとっては、終戦直後、燃料廠のタンクの底に残る廃油の回収という過酷な作業を請け負った縁もあった。

 出光初の製油所は国内最大を誇った。「あんなにでかい製油所は画期的。日本一の現場で働けると思うとうれしかった」。火入れ式に立ち会った元徳山製油所長の吉田貞夫さん(81)は、興奮を鮮明に覚えている。

 石油製品の販売から精製に進出した出光は56年、化学などに強い89人の技術者を採用した。吉田さんもその一人。「製油所建設の作業を朝から晩まで見るよう言われた。設備をよく知り、後の製油所の運転に役立った」と振り返る。

相次いで操業 産業政策の柱

 50年代、国は石油化学業界の育成を産業政策の柱の一つに位置付けた。税優遇や国有地の払い下げで企業を後押しし、各地にコンビナートが誕生する。58年、三井石油化学工業(現三井化学)が山口県和木町で国内初の総合石油化学工場を稼働。64年には水島コンビナート(倉敷市)の中核として、化成水島(現三菱化学水島事業所)が操業を始めた。

 出光興産は徳山製油所から出るナフサを有効利用するため、64年に出光石油化学を設立する。製油所のナフサからエチレンなどを作り化学メーカーに供給する徳山工場を新設した。

 エチレンは、幅広い合成樹脂製品に使われる基礎原料。当時は、先行する大手でも生産能力は年3万トン前後だった。「出光佐三氏、徳山曹達(現トクヤマ)の蔭山如信(ゆきのぶ)社長、東洋曹達工業(現東ソー)の二宮善基社長の3巨頭が、年10万トンでやるらしい」。うわさを聞いたトクヤマ元専務の吉岡隆さん(84)は、スケールの大きさに度肝を抜かれた。

 戦前から徳山地区でカセイソーダの生産を手掛けていたトクヤマと東ソー。製造過程で出る塩素を使い、出光石油化学からエチレンの供給を受けて樹脂原料などの生産を目指した。「和のコンビナート」を掲げる出光佐三氏の提案で64年9月、折半出資して周南石油化学を設立した。12月のコンビナート完成式で佐三氏の弟で出光石油化学の故出光計助社長は「パイプ1本で結ばれ、親子、夫婦より密接な関係にある」と団結を誓った。

大型化の時代 高度経済成長

 高度経済成長の波に乗り石油化学は大型化の時代を迎える。官民の石油化学協調懇談会は67年、エチレン設備の新設基準を年産30万トンと決定。年産7万3千トンで始めた出光石油化学徳山工場は68年に30万トンに増強した。化学各社は増産や新たな原料の製造を急いだ。

 トクヤマが独自技術で挑んだのはテレビや車に使われ、次世代の樹脂原料とされたポリプロピレン。だが品質が安定せず、100人いた試験工場は解散した。吉岡さんは「営業は悲劇。繊維やプラスチック加工の会社に謝り倒した」。粘り強く研究し、70年に本格生産にこぎ着けた。

 中核産業に成長した石油化学業界。73年と79年の石油危機を機に、過剰な設備が重荷になる。低成長期に入り、製品の需要が減退。85年、出光石油化学の徳山工場第1、三井石油化学工業の岩国大竹工場第3の各エチレンプラントが操業を停止した。

 トクヤマや東ソーは電子材料など付加価値の高い素材に転換する。トクヤマの吉岡さんは80年代前半、藤沢研究所(神奈川県)の所長として新事業の芽を探った。「ちょっと良いぐらいではボツ。巨大な夢を描いた」と語る。「なめるとつるつるして気持ちのいい歯の材料を作る」「電子部品の熱を逃がす窒化アルミニウムの熱伝導率を2倍も3倍も高める」―。若い研究者は思い切ったテーマを出し事業化につながった。トクヤマは84年、半導体用に多結晶シリコンの製造も始めた。

 90年代のバブル後の不況に加え、アジアや欧米勢との競争が激化し、化学業界には再編の大波が押し寄せた。94年、三菱化成と三菱油化が合併し三菱化学が発足。三菱化学と旭化成ケミカルズは水島で共同運営するエチレンプラント2基を2016年4月に1基に集約することを決めた。

売電も選択肢 石油精製を終了

 エコカーや天然ガスの普及でガソリンや重油の需要も縮小。製油所の集約も進み、出光興産は14年3月、徳山製油所で57年続けた石油精製を終えた。出光は、石炭やガスが燃料の火力発電所の建設や化学企業への売電を次の選択肢の一つとする。

 「石油産業は座していては縮小するだけ。次の発展に向け脱皮してほしい」。1986年まで徳山製油所長を務めた吉田さんは、後輩にエールを送る。(境信重)

コンビナートをめぐる主な出来事

1957年 3月17日 出光興産徳山製油所が操業開始
  58年 4月    三井石油化学工業(現三井化学)が山口県和木町で国
            内初の総合石油化学工場を稼働
  64年 7月    化成水島(現三菱化学水島事業所)が操業開始▽9
            月 出光興産が出光石油化学を設立。徳山曹達(現ト
            クヤマ)と東洋曹達工業(現東ソー)が周南石油
            化学設立▽10月 出光石油化学徳山工場が本格稼働
            ▽12月 出光石油化学や周南石油化学などがコンビ
            ナート完成式
  65年 4月    出光石油化学と徳山曹達、東洋曹達工業が日本ポリケ
            ミカル設立
  67年 6月    石油化学協調懇談会がエチレン設備の新設基準を年産
            30万トンと決定
  70年 4月    徳山曹達がポリプロピレンの本格生産開始
  73年 6月    徳山湾で水銀問題発生▽7月 出光石油化学徳山工場
            のエチレンプラントで爆発事故▽10月 第1次石油
            危機
  79年 1月    第2次石油危機
  82年 6月    国の産業構造審議会化学工業部会が過剰設備の処理や
            業界再編の必要性など答申
  84年       徳山曹達が半導体用に多結晶シリコンの生産開始
  85年       出光石油化学徳山工場の第1エチレンプラントと、三
            井石油化学工業の岩国大竹工場の第3エチレンプラン
            トが操業停止
  94年10月    三菱化成と三菱油化が合併し三菱化学が発足
  97年10月    三井石油化学工業と三井東圧化学が合併し三井化学が
            発足
2001年 4月    出光石油化学とトクヤマがポリプロピレンの生産を統
            合し徳山ポリプロ設立
  04年 8月    出光興産と出光石油化学が合併
  14年 2月    三菱化学と旭化成ケミカルズが、水島コンビナートで
            共同運営するエチレン製造設備2基を16年4月に1
            基に集約することで合意▽3月 出光興産徳山製油所
            が原油処理を停止▽11月 帝人が徳山事業所の閉鎖
            を発表

(2015年7月11日朝刊掲載)

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