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[戦後70年 継承しまね] 「あの日」地元で初証言 松江市玉湯の原さん 60人に被爆後の様子語る

 広島で被爆した島根県原爆被爆者協議会の原美男会長(88)=松江市玉湯町=が10日、玉湯公民館であった生涯学習講座で体験を証言した。これまで県内の小学校を中心に活動してきたが、強い要望を受けて戦後70年の節目に初めて地元の仲間に「あの日」を語った。

 原さんは1945年8月2日、18歳で広島の旧陸軍工兵隊(中国114部隊)に入隊。6日は爆心地から約4キロの祇園町(現広島市安佐南区)の兵舎にいた。3日後から市内に入り遺体の収容作業に当たった。

 「人間ではなく機械のように死体を運んだ。命令でなければやらなかった」と明かした。60~80代の約60人はじっと聞き入った。

 戦後、松江市などで小中学校の教師を務めた原さんは、ずっと「沈黙」を守り続けた。被爆者健康手帳を申請し、子どもたちに体験を語るようになったのは戦後50年を過ぎた頃だった。今を「大人も含めて戦争を知らない世の中になった」と危惧する。

 玉湯町には、広島から多くの被爆者が搬送された広島第一陸軍病院の玉造分院があった。近くの伊藤利治さん(68)は「戦争と関係の深い場所で体験を聞き、原爆の悲惨さをあらためて感じた」と話していた。(西村萌)

(2015年7月11日朝刊掲載)

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