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戦後問うた写真後世に 反骨のカメラマン 柳井の福島さん データ化 ネガ二十数万枚

 反権力の立場で戦後日本を撮り続けた報道写真家の福島菊次郎さん(94)=柳井市=が、共同通信イメージズ(東京)の協力を得てネガフィルムをデジタルデータ化する。広島の被爆者、安保闘争、自衛隊、上関原発の反対運動―。社会的反響を呼んだ作品群の全てのネガが自宅アパートに眠ったままとなっている。「この国を問うた写真が、僕の死後もずっと生き続けてほしい」と強く願う。(井上龍太郎)

 徹底して反戦、反体制を貫く。その原点は戦争体験。陸軍に徴兵され、広島市で訓練を積んだ後、原爆投下の6日前に本土決戦の「自爆要員」として宮崎県の日南海岸に派遣され、そのまま「敗戦」を迎えた。

 故郷下松市に復員した翌年の1946年、原爆ドームに草が生えたとの新聞記事を目にし、広島でカメラを握った。原爆の後遺症に苦しむ被爆者と家族の10年間を記録。写真集「ピカドン ある原爆被災者の記録」は日本写真批評家協会特別賞を受賞した。

 学生運動や三里塚闘争、山口県上関町祝島の反原発運動などにレンズを向け、国家の矛盾や隠されがちな問題を暴き続けた。過激な作風は物議も醸し、自衛隊に潜入取材して兵器製造の実態を告発した写真集を発表後、暴漢に襲われ、自宅も何者かに放火された。

 87年に見つかった胃がんの手術で、胃の3分の1を切除。その後も病気が続いて体は弱り、年も重ねた。「戦後史の裏側を系統的に写してある」(福島さん)という二十数万枚のネガは、1人暮らしの部屋で無造作に置かれたままとなった。交流の深い写真家の那須圭子さん(54)=光市=が橋渡し役となり、データ化の実現にこぎ着けた。

 福島さんは今、ベッドの上でほぼ一日を過ごす。転倒や体調悪化で救急要請も増えた。「僕はもう長くない。データになれば今後も広く使われ得る」と話す。共同通信イメージズによると個人の写真家のデータ化は初めて。担当者が近く、段ボール箱などに入っているネガを引き取る。9月をめどに主なネガの画像処理を済ませ、運営するホームページで有償提供する予定だ。

(2015年7月12日朝刊掲載)

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