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愛息よ 激戦地から44通 太平洋の島で戦死・小林さん 福山の有志 来月展示

 第2次世界大戦の激戦地ニューブリテン島(現パプアニューギニア)のツルブで28歳で戦死した日本人兵士が、下関市に残した幼い愛息に送り続けたはがきを紹介する企画展「ツルブからの手紙」が8月1~5日、福山市である。差出人の小林喜三さんは福山を拠点とした陸軍歩兵第41連隊に所属していた。はがきの存在を知った福山の有志が「41連隊の兵士が生きた証しを伝えたい」と、戦後70年を機に、福山での開催を初めて企画した。(加納亜弥)

 はがきの宛先は長男征之祐さん(74)=下関市。喜三さんは、1942年12月からの1年余りを過ごしたニューブリテン島から、「征チャンのシンブン」や「南海のニュース」と題した44通を送った。島民の暮らしや異文化を、水牛やカエルなど小さなイラストを交えてユーモラスにつづっている。

 「ツヨイツヨイコニナッテクダサイ」「征君と一緒にお風呂に入りたいよ」―。島の生活が長引くにつれ、喜三さんの文字は小さく、文章は長くなっていく。

 喜三さんは44年1月14日、戦闘で砲弾の破片が右太ももを貫通して死亡。44通目の最後のはがきが家族の元に届いたのは約2カ月後の3月20日だった。征之祐さんは当時3歳だった。

 征之祐さんが最後に喜三さんに会ったのは物心つく前。「父のことは残念ながら覚えていない。ただ、父が過ごした福山で父の便りを紹介できることは、本当にありがたい」と言う。

 企画展は、2006年に征之祐さんと知り合ったフリーライター井手久美子さん(64)=下関市=が07年から、下関市や北九州市などで開いてきた。取材を続ける中で、征之祐さんの母の実家が家業とした備後柿渋を受け継ぐ福山市のNPO法人「ぬまくま民家を大切にする会」のメンバーに出会い、意気投合して福山での開催が決まったという。

 同会の渡辺良夫会長(80)は「国とは、家族とは、命とは何かを考えてほしい」と話す。企画展はまなびの館ローズコム(福山市霞町1丁目)であり、はがきの複製などを展示する。無料。同会などでつくる実行委員会が主催する。

(2015年7月14日朝刊掲載)

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