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小頭症患者 老いて孤立 きのこ会半世紀 支援の仕組み急務

 母親の妊娠初期におなかの中で原爆に遭い、生まれつき知的、身体障害がある「子ども」たちが老いて孤立を深めている。原爆小頭症患者。今月初めには、広島市東区の患者が1人暮らしの自宅で亡くなっているのが見つかった。被爆から70年。社会として患者の暮らしをどう支えるのか。その仕組みづくりが急務だ。(菊本孟)

 患者やその家族たちでつくる「きのこ会」は先月、結成から半世紀を迎えた。この間、原爆の後遺症や健康不安を抱えながらわが子を守った親たちは亡くなり、今や患者を支えるのは、きょうだいや支援者頼みだ。会の歩みを振り返りながら、初代事務局長の作家文沢隆一さん(87)=廿日市市=は「親がいなくなった時、子どもたちをどう支えるかが大きな問題だった」と話す。そんな中、会のメンバーだった69歳の患者男性が広島市東区の自宅で一人死亡した。

 会は、患者の存在を知った報道関係者たちの呼び掛けで、1965年に6家族で発足した。当時、患者は原爆医療法上の被爆者健康手帳を取得できたが、国が医療費を負担する原爆症には認定されていなかった。66年に会は初めて厚生省に改善を要望。行政や政治家のほか、街頭でも社会に訴えた。その結果、67年9月、国は小頭症を原爆症に追加。81年には生活保障の側面が強い小頭症手当も始まった。

最後の親が死去

 しかし昨年3月には、会が把握していた最後の親、川下兼子さんが92歳で亡くなった。

 長女で患者のヒロエさん(69)は、兼子さんとの思い出が詰まった東区の賃貸住宅で一人住まいをする。室内のカレンダーは昨年3月から破っていない。

 「本当に厳しかった。角が生えてるのかなと思うくらい」という母親のしつけで料理や掃除、洗濯はできる。でも、電球の取り換えや買い物の精算は苦手。道にも迷う。その都度、長岡義夫会長(66)たちメンバーや市の専門相談員に電話で相談したり、来てもらったりする。長岡さんも、1人暮らしする3歳上の兄の自宅に4日に1度通う。「先行きに不安はあるが、できる限り頑張りたい。力が及ばなくても、患者のことを思っていることが少しでも伝われば」と言う。

総会で近況報告

 50年の節目となった6月27日。東区であった年1度の総会に広島、三次、廿日市各市に住む患者9人と支援者約40人が集まった。互いに手を取り合い、笑顔で近況を報告した。

 会のメンバーで、NPO法人日本医療ソーシャルワーク研究会の村上須賀子理事長(70)=廿日市市=は強調する。「高齢化社会の中で、孤立は小頭症患者だけの問題ではない。被爆者や障害者の援護、医療、介護など総合的に支援を提供できる仕組みが全国的に必要だ」

原爆小頭症患者
 母親の妊娠初期におなかの中で強い放射線を浴び、知的、身体障害を伴って生まれた胎内被爆者。きのこ会発足2年後の1967年に「近距離早期胎内被爆症候群」として原爆症の認定対象になった。患者には2015年度、原爆小頭症手当が月4万7630円、原爆症の医療特別手当が同13万8380円支給されている。厚生労働省によると患者は15年3月末時点で全国に20人いた。都府県別では広島13人、長崎2人、東京、神奈川、大阪、山口、福岡各1人。うち広島市の1人は7月に亡くなった。

(2015年7月14日朝刊掲載)

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