美術散歩 詩情あふれる古里広島
15年7月15日
米田勁草作品展―ヒロシマを描き・写す 19日まで。広島市中区上八丁堀4の1、ギャラリーG
川面に映る原爆ドーム、夜の川をたゆたう色とりどりの灯籠…。じっと見ていると、頭にメロディーが浮かぶ。そんな画面だ。
広島市南区の米田勁草(けいそう)さん(78)が、古里広島の風景を油彩、水彩、日本画、写真で切り取った30点。詩情が湧くのは、峠三吉らと詩作に励んだ原爆詩人の父、米田栄作氏(1908~2002年)の作品に着想しているからだろうか。
原爆が落とされた当時8歳。広島県山県郡安野村の寺に学童疎開していて助かったが、1カ月後に戻った古里の惨状は「今も忘れることができない」という。
絵筆を執ったのは、市役所を定年退職してから。油絵教室に10年、日本画教室に5年、写真クラブに7年所属し、ヒロシマをテーマに制作を続けてきた。
新作「星の歌」は、原爆で焼かれた広島に広がる星空。奪われた無数の命の輝きを映す。被爆死した米田さんの弟をうたった父の詩から生まれた。
市職員時代は、平和記念館(当時)の館長などを務め、平和行政にも奔走してきた。「70年の節目に、自分の中のヒロシマを集大成しておきたかった」。控えめだが、熱い思いが伝わる空間となっている。(森田裕美)
(2015年7月15日朝刊掲載)
川面に映る原爆ドーム、夜の川をたゆたう色とりどりの灯籠…。じっと見ていると、頭にメロディーが浮かぶ。そんな画面だ。
広島市南区の米田勁草(けいそう)さん(78)が、古里広島の風景を油彩、水彩、日本画、写真で切り取った30点。詩情が湧くのは、峠三吉らと詩作に励んだ原爆詩人の父、米田栄作氏(1908~2002年)の作品に着想しているからだろうか。
原爆が落とされた当時8歳。広島県山県郡安野村の寺に学童疎開していて助かったが、1カ月後に戻った古里の惨状は「今も忘れることができない」という。
絵筆を執ったのは、市役所を定年退職してから。油絵教室に10年、日本画教室に5年、写真クラブに7年所属し、ヒロシマをテーマに制作を続けてきた。
新作「星の歌」は、原爆で焼かれた広島に広がる星空。奪われた無数の命の輝きを映す。被爆死した米田さんの弟をうたった父の詩から生まれた。
市職員時代は、平和記念館(当時)の館長などを務め、平和行政にも奔走してきた。「70年の節目に、自分の中のヒロシマを集大成しておきたかった」。控えめだが、熱い思いが伝わる空間となっている。(森田裕美)
(2015年7月15日朝刊掲載)