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古里の8・6 つなぐ記憶 原爆投下の朝 亀山地区にパラシュート

 広島市安佐北区可部の新沢孝重さん(77)、慶子さん(77)夫妻が、原爆投下の朝に米軍機から地元の亀山地区に落とされたパラシュートの聞き取りを進めている。二人は元教員。地区に残る戦争の記憶を子どもたちにも伝えようと、退職後に始めたライフワークを喜寿の節目に冊子に集大成する計画だ。

 慶子さんは当時、可部国民学校の5年生。市街地から飛んできたパラシュートをはっきり覚えている。爆発観測用の装置が付いていたが、住民は爆弾と勘違い。防空壕(ごう)に避難するなど大騒ぎになったという。

 慶子さんは「見たことがないきれいな布だった。布のその後の行方が気になって…」。孝重さんも上司から装置とパラシュートの回収作業の話を聞いたことがあった。

 二人は退職後に本格的に調査を開始。騒動ぶりを絵に描いたり、落下地点を地図にまとめたりしてきた。

 パラシュートが落ちた場所に出向いて住民の聞き取りも重ね、7月19日には、父親(故人)が装置の回収作業をしたという同区の池田光子さん(67)方で当時1歳だった池田さん用に作られたパラシュート生地のワンピースを撮影。「(ワンピースを作ってくれた)姉の優しさを感じる」という池田さんの話を聞いた。

 二人は「あの日から66年たった今も、原爆は人々の頭から消えない。地区に残る戦争の記憶を形として残しておきたい」と話している。

亀山地区に落ちたパラシュート  原爆の爆発による風圧や温度を把握するため、米軍が測定装置とともに投下した。亀山地区の水田や山の計3カ所に落ちたとされる。装置は軍が回収、パラシュートの布は住民が持ち帰った。装置とパラシュートの一部は原爆資料館(中区)にも展示されている。(有岡英俊)

(2011年8月4日朝刊掲載)

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