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社説・コラム

『この人』 平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 仲川弘美さん 「戦争ない日常」 思い強く

 被爆70年の原爆の日に、広島市の平和記念式典で「平和の鐘」を世界に響かせる大役を担う。迷わず引き受けた後に、被爆者の祖母、佐伯千代香さん(1999年に76歳で死去)が75年に描いた「原爆の絵」を見返したという。火の手が上がる南大橋(現中区)を逃げる人、まちに倒れた人。その中にいた若き日の祖母を思い、涙した。「祖母たちが大切にした『戦争がない日常』を願って突きたい」との思いを強くしている。

 戦前から祖父母が暮らしていた大手町(中区)で同居し、あの日の記憶を聴いて育った。爆心地から約1・3キロ。原爆で、祖母は祖父の一馬さん(93年に75歳で死去)とともに倒壊した家屋の下敷きに。辛うじて抜け出たが、1歳の長男を亡くした。祖母はその亡きがらを抱いて実家があった古市町(現安佐南区)まで逃げ、古川の河原で火葬した。絵は逃げる途中に脳裏に焼き付けた惨状だった。

 幼少期に祖母から聞いたその体験は「今思えば壮絶だった」。ただ、その口調に苦しみや怒りを感じた記憶はない。覚えているのはむしろ、台所で炊事に立ち、食卓を囲み、笑顔を絶やさない日常の一こまだ。「戦争で飢えに苦しみ、原爆で家族を亡くしたからこそ、何げない毎日が幸せだったのかな」。そう考える一方、後悔もある。「心の奥底の悲しみに寄り添いたかった」。大役は、身近にあった戦争と原爆の惨禍に向き合う、きっかけにもなった。

 大学進学を機に広島市を離れ、大阪市で社会人生活を送っていたが2年前にUターン。一馬さん夫妻の次男で、酒販業を営む父を手伝い、母、夫の4人で暮らす。愛犬の名前は「ピース(平和)」。(樋口浩二)

(2015年7月16日朝刊掲載)

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