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「核」見つめ直す夏 広島 あす原爆の日

 未曽有の大災害となった東日本大震災の傷痕に日本社会が苦しむ中、広島は6日、被爆66年の原爆の日を迎える。核兵器廃絶を訴える被爆地は、震災に伴う福島第1原発事故で、核の脅威が遠い記憶ではないと思い知らされた。全ての核と正面から向き合う決意が問われる夏となる。

 巨大な壁のような津波が太平洋沿岸に立つ福島第1原発を襲った3月11日。原発の「安全神話」はもろくも崩壊した。

 「核と人類は共存できない」。故森滝市郎・広島県被団協初代理事長は訴えたが、被爆地でも多くの人は核兵器と原子力の平和利用を切り離して考えた。

 私たちは核の利用に潜む危うさを知らないわけではない。米国のスリーマイルアイランド原発事故や東海村臨界事故など、国内外で深刻な事故は繰り返された。だが「絶対悪」の核兵器と違い、どこか自分自身のことと受け止めていなかったのではないか。

 1986年4月、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発で史上最悪の事故が起きた。事故20年の2006年、2カ月余り現地を歩いた。今も核の暗い影に覆われた地域を目の当たりにした。

 半径30キロ圏内は立ち入りが制限され、住民が去った街は時間が止まったようだった。避難した人も健康不安にさいなまれる日々。フクシマにつながる警告は確かにあったのだ。

 この一年は、原発事故以外でも被爆地の存在意義を問われる事態が続いた。

 「核兵器のない世界」を目指すとオバマ米大統領が一昨年、プラハで演説した。その米国は、被爆地の期待もむなしく、臨界前核実験や新たな手法の核実験を繰り返した。昨年9月から今年3月にかけ計5回。事前通告もなかった。

 一方、「核兵器廃絶の先頭に立つ」との看板を掲げる日本政府は今回も抗議や申し入れをしなかった。米国の「核の傘」に守られながら核兵器廃絶を唱える矛盾を指摘される政府に、被爆国の自覚は感じられない。

 原爆の惨禍から復興の歩みを経て、核兵器廃絶を訴え続けてきた広島。被爆地の蓄積を生かした核被害者の救済、核の平和利用をめぐる議論など、新たな核時代に何ができるのか。今こそ、「あの日」の意味を考え直す時だ。(滝川裕樹)

(2011年8月5日朝刊掲載)

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