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社説・コラム

『記者縦横』 きのこ雲 何色でしたか

■東京支社・藤村潤平

 「ところで、何色に見えましたか」。取材で、あるいは取材後の雑談で、70年前のきのこ雲の話になると必ず尋ねることにしている。白、グレー、赤、ピンク、紫、虹色…。人によって、さまざまな答えが返ってくる。

 広島一中(現国泰寺高)3年だった男性(84)は、動員されていた東洋工業(現マツダ)から北西約5キロのきのこ雲を見上げた。「今となっては信じない人もいるが、緑色だったんだよ」。そう証言して、脳裏に刻まれた色彩を再現したスケッチを見せてくれた。不気味な雲の下には、肉親や友が残されていた。

 広島に落とされた原爆はどんなものだったのか―。体験を聞き重ねる中で、おぼろげながら被爆の一端に触れたと思うことがある。一方で、きのこ雲の色一つを取っても、70年前に起きた未曽有の出来事に想像力すら及ばないとも痛感させられる。分かったような気になってはならない、と戒められる。

 節目の夏が近づく。「被爆者の話を聞くことができるのは、もう最後」との声を聞く。確かに、いずれは生々しい体験を直接耳にできる機会は失われるだろう。とすれば、私たちは今どう向き合うべきなのか。

 一つ一つの証言をじっくり受け止め、かみしめること。そして、聞いた時の感覚、感情を忘れないことだと思う。その思いを胸に宿す私たちもまた、被爆地の歴史の一部であると信じる。だから、きょうも尋ね続ける。「何色でしたか」と。

(2015年7月17日朝刊掲載)

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