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連載・特集

『生きて』 児童文学作家 那須正幹さん(1942年~) <4> 心の友 

本の主人公に憧れ創作

 庚午中(現広島市西区)で、1冊の本と運命的に出合う
 1年生の時、図書委員の女の子が「これ読んでみたら」と、下村湖人の「次郎物語」の1巻目を薦めてきた。読み終えて、「面白うない」と感想を伝えると、「那須君は文学の分からん人じゃね」と。ほいじゃあ、5巻まで全部読んでから、また言うてやろうと思って読んだら、はまってしまって。

 主人公の少年次郎が、僕とよく似とったわけよ。年上だろうと反抗したり、中学生になって不良たちとけんかしたり。そのうち次郎は、朝倉先生という恩師に出会う。次郎を心の友だと思って、その生き方に心酔したねえ。トラブルが起きたとき、彼ならどうするじゃろうかと考えたりして。一種のバイブルのように、何度も読み返した。ほんと、一つの文学が人生を変えてしまうというのは、うそじゃない。1年の夏休みに作文の宿題の代わりに物語を三つ書いた。初めての創作体験じゃった。

 そのころ、その後も長年にわたって恩師と慕う教師と巡り合う
 原田三代治という、予科練上がりの国語の先生。学校の先生は、だいたい生徒を呼び捨てにしよった。でも、原田先生は、「君」「さん」を付けて呼び、大人扱いしてくれた。

 授業は型破り。漢字の書き取りは一切しない。「あんなものは辞書を引けば、みな載っとる」と言うて。ある朝は、授業に来て、黒板に「まだあげ初めし前髪の―」と島崎藤村の詩「初恋」をバアーッと書くの。で、「君たちは、恋の苦しさを知っとるか」って。魅了されて、国語の授業が面白く感じられたね。

 中学2年の秋、学校で被爆者の健康調査を受けた
 僕は、赤血球が足りんかった。学校の先生に引率されて、広島赤十字病院(現中区)で精密検査を受けた。実は、そのひと月ほど前、林恵美子さんという、中1の時のクラスメートが、急性骨髄性白血病で亡くなった。「それも原爆のせいじゃ」と聞いていた。ほんと、人ごととは思えんかったねえ。結果が出るまでの1週間ぐらい、深刻に悩んだよ。

 幸い僕の場合、軽度の貧血。あの時からかなあ、自分が被爆者じゃという自覚が出たのは。何かの折、ひょっとしたらと、今でも思うね。

(2015年7月18日朝刊掲載)

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