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被爆後2ヵ月間 記録克明 東区の河野さん 悲劇の日記保管

何をする事もなく莫然と焼後の広島を眺めてた

 広島市原爆被爆者協議会牛田支部長の河野昭人さん(84)=東区牛田南=が、原爆投下の日から2カ月続けた日記を大事に保管している。焦土で過ごした不安な日々を克明に記述した。河野さんは「人類の悲劇を何とか記録したかった」と当時の心境を語る。(和多正憲)

 「広島都市爆撃セラル。昭人は祇園町長束村吉村酒場に出勤す。(家族は)全員無事故なり」。日記はA5判ノートにペンでつづられ、1945年8月6日に始まる。当時、18歳。広島電気学校(現在の中区大手町)の学生だった河野さんは、学徒動員中に安佐南区長束の倉庫で被爆した。

 7、8の両日は空白。9日に再開し、「(祖父の)骨拾いに行く」とだけ書いた。15日には「何をする事もなく莫然と焼後の広島を眺めてた」。約1カ月後の9月3日には「朝から頭が痛い。髪が抜けはせぬかと引っ張ってみた。まだ抜けない」などと体調への不安もみられる。その後も被爆死した友人を回想するなどし10月6日、25ページで終わった。

 今年も8月6日が巡り来る。「福島第1原発の事故は本当にショックだった。また日本でヒバクシャが生まれるとは」と河野さん。平和記念式典に今年も出席する。「核による被害者を出さないためにも、総理は脱原発への決意を世界に発信してほしい」

(2011年8月5日朝刊掲載)

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