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大和が放つ歴史の重み ミュージアム開館10周年 

 呉市の大和ミュージアムはことし、開館10周年を迎えた。日本の重工業の発展をたどるとともに、先の大戦の惨禍を伝える個性的な施設として抜群の集客力を誇る。5月には累計来館者が1千万人の大台を突破した。10年間の歩みや成果を振り返り、開催中の特別企画展「日米最後の戦艦展 戦艦大和とミズーリ」(来年1月31日まで)の見どころを紹介する。(小島正和)

1000万人超す来館者

戦禍や重工業の歩み学ぶ

 大和ミュージアムの正式名称は「呉市海事歴史科学館」。2005年4月23日、宝町の埋め立て地にオープンした。約60億円を投じた。明治時代以降、軍港と産業都市として成長した呉の歩みと、発展の軸となった造船や製鋼といった技術を紹介。地域から日本の近代史が見渡せる、特色ある施設といえる。

 旧呉海軍工廠(こうしょう)で建造された戦艦大和の10分の1模型をシンボルに、常設展示している資料は約1500点。東シナ海に沈んだ大和の乗員の遺書や顔写真、海底から引き揚げた遺品をはじめ呉空襲の写真も並べ、戦禍を繰り返すまいと訴える。

 集客面では「地方都市では奇跡的」と評されるほど健闘を続けている。開館初年度は約161万人を記録。その後も年間74万~117万人台を保つ。当初の予想40万~20万人を大幅に上回る数字だ。

 展示は「未来志向」でもある。次世代を担う若者の科学への関心を育むため、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と提携し「宇宙」もテーマの一つに据えている。工作、実験教室も定期的に開き「学びの拠点」の性格も強めている。

「日米最後の戦艦展」

46センチ砲の砲尾模型 零戦の破片を展示

 戦後70年のことし、開館10年の節目に合わせて力を注ぐ特別企画展は、日米二つの「最後の戦艦」に光を当てて、膨大な犠牲者を出した太平洋戦争を振り返っている。

 旧日本海軍が最後に建造したのが大和型と呼ばれる大和、武蔵、後に空母に改造された信濃の3艦。大和は旧呉海軍工廠が生んだ最後の戦艦だ。一方、ミズーリは米海軍で最後に退役した戦艦で、1945年9月の日本の降伏文書調印の舞台にもなった。重要な「歴史の証人」である。

 大和関連の展示で目を引くのは、世界最大の46センチ主砲の砲尾の実寸模型。砲弾を込める部分に相当し、大きさは縦3メートル、横2メートル。武蔵とみられる戦艦の主砲発射を捉えた貴重な写真も併せて展示しており、先の大戦時の兵器の威力を伝える。

 米国ハワイの戦艦ミズーリ記念館の所蔵品は日本初公開。45年、沖縄沖でミズーリに突入した零戦の破片と部品計5点は、戦争の悲劇を伝える。ミュージアムは「洋上に散った若い命に思いをはせてもらいたい」と願う。「あの惨禍を繰り返してはならない」とミュージアムが強い意志を込め、ミズーリ記念館から借り受けた。

 展示は図面、手紙、文書など計約70点。戦艦の建造を制限する軍縮条約といった当時の世界情勢も紹介し、その中で兵器がどう作られていったかも俯瞰(ふかん)できる。終戦70年の節目に、戦争の歴史と技術、そして平和の尊さを実感する場にしたいというのが特別企画展の狙いだ。

戦後70年 平和の大切さ発信

小村和年呉市長

 ことしは終戦70年の節目でもあり、特別企画展「日米最後の戦艦展」を通じ、日米双方の視点から歴史を語り継ぐことを試みます。今後も「平和の大切さ」や「科学技術の素晴らしさ」を発信し、呉ならではの「オンリーワンの博物館」を目指して努力していきます。引き続きご支援いただきますよう、よろしくお願いします。

次の10年に向け勉強重ねる

戸高一成館長

 呉の歴史と技術、そして戦争という重い課題を、多くの人に見てもらえるように知恵を絞りあっという間に駆け抜けた10年でした。多くの人を引きつけているのは、「ここにしかない」情報を伝える努力が認められた結果だと思います。とはいえ博物館は終わりのない事業です。次の10年、20年に向け、さらに勉強を重ねます。

(2015年7月18日朝刊掲載)

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