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つなぐ~戦後70年 連行米兵の親族、柳井市伊陸へ 戦争末期の米機墜落 目撃者と来月面会計画

 太平洋戦争末期、搭乗した米軍機が柳井市伊陸の山中に墜落し、捕虜として連行された広島で被爆死した米兵の親族が8月、墜落現場を初めて訪れる。当時の目撃者たちに会い、話を聞く計画だ。伊陸の住民は戦後、被爆を免れて生き延びた機長(故人)と親交を温めてきた。戦後70年の節目、世代を超えて平和を誓い合う。(井上龍太郎)

 親族は、米ケンタッキー州在住のラルフ・ニールさん。おじで同名の故ラルフ・ニールさんは、B24爆撃機の射撃手だった。

 沖縄を飛び立った搭乗機は1945年7月28日、呉沖で旧日本軍の戦艦を爆撃中、対空砲火を浴び、伊陸に墜落。乗組員はパラシュートで周辺に脱出した。おじのニールさんは捕らえられ、広島市中区にあった中国憲兵隊司令部に連行された。

文通で交流紡ぐ

 8月6日、米国が広島に原爆を投下。同僚5人と共に被爆死した。機長の故トーマス・カートライトさん(ことし1月に90歳で死去)は広島に収容後、東京へ移送され被爆を免れた。

 伊陸の伊藤マスノさん(87)は、自宅で墜落を目撃した。「米軍憎しの時代。見つけた米兵を襲おうとする住民もいたが、『そんなことしちゃいけん』と声が上がり、誰も手にかけなかった」

 戦後、住民はカートライトさんと機体部品の返還や文通で交流を紡いだ。98年には再び戦争をしてはならないと、寄付を募って墜落現場近くに「平和の碑」を建立。翌年、来日したカートライトさんと除幕式を開いた。

映像作家が同行

 ニールさんは8月4日に伊陸を訪れ、墜落を目撃した住民と面会する予定。米兵捕虜の足跡をテーマにした映像作品を撮影している米国人男性バリー・フレシェットさんが同行し、平和の碑や墜落現場を収録するという。

 ニールさんの訪問は、被爆死した米兵の研究と慰霊を続けている被爆者の森重昭さん(78)=広島市西区=が取り次いだ。今月15日、柳井市役所を訪問し井原健太郎市長に趣旨を説明した。

 森さんは「同僚を原爆で亡くしたカートライトさんは、平和の大切さを息子に説いていた。そのことをあらためて見詰め直す機会になれば」と話した。森さんは当日、伊陸小児童と保護者に、交流の経緯や平和の尊さを講話する。

(2015年7月18日朝刊掲載)

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