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正念場の被爆者団体 全国アンケートから <上> 相次ぐ解散 高齢化 活動に「限界」

 被爆70年。「ふたたび被爆者をつくるな」と訴え、核兵器廃絶の実現へ力を注いできた被爆者団体が岐路に立つ。中国新聞社が今月、日本被団協に加盟、オブザーバー参加する都道府県組織と、中国地方5県内の地域組織に現状を尋ねたアンケートでは、会員の高齢化で多くの団体が今後の展望を描けないでいる実情が明らかになった。活動に終止符を打つのか、被爆2世たちに託すのか。模索する姿を追った。

 「続けたいが体が動かず限界。むなしい」。安芸高田市の八千代町原爆被害者友の会の最後の会長となった大沢信明さん(70)は、うなだれる。60年続いた会の活動に6月、幕を引いた。行く末を議論した3月の臨時総会に集まったのは約20人。「みな年を重ね、どうもならん」「会の灯を消すまい」。諦めと存続への願いは交錯したが、結局、賛成多数で解散を決めた。

2世との温度差

 広島県被団協の結成前年の1955年に約500人で発足。町内の子どもたちに被爆の惨状を伝え、平和を願う心を育もうと証言活動に力を入れてきた。被爆50年の節目だった95年には慰霊碑を建立。原爆の日には、碑前での追悼式典を営んできた。その一方で会員は1人、また1人と減り、解散時は105人。発足時の5分の1になっていた。

 継承は試みた。10年前から町内の被爆2世に組織の結成を打診。3年前には2世84人分の名簿を親がまとめ、組織規約も用意して「お膳立て」した。それでもバトンを託す相手は見つからなかった。「2世は日々の仕事に忙しい。被爆体験もない。温度差はあった」。大沢さんは口惜しむ。

 被爆者団体の解散が相次いでいる。都道府県組織ではことしに入り和歌山が、地域組織では安芸高田市甲田町、庄原市西城町などの各団体が活動を終えた。

 理由は、会員の高齢化にほかならない。被爆者健康手帳を持つ被爆者の平均年齢は3月末時点で、80・13歳。中国新聞社によるアンケートでは35・5%が「被爆者がいなくなれば解散」と答えた。被爆者を中心とした運動は「限界」に近づきつつある。組織を維持できるのは「あと数年」「不明」とする団体が大半を占め、「70年を区切りに」との胸の内もうかがえた。

会員わずか4人

 「私の命が続く限り」。つるおか被爆者の会(山形県鶴岡市)の三浦恒祺会長(85)は、こう回答を寄せた。被爆地から遠く離れた同県では、県単位の組織は既に途絶えている。だからこそ、と気を吐いて、平和団体の行事に招かれては証言活動に精を出す。

 ただ、会員数は回答団体の中で最少の4人。うち2人は体調が思わしくなく、会長の後任はめどが立たない。資金も1人2千円の年会費と、市の助成金2万8千円だけが頼りだ。「なんとか山形の反核平和運動のともしびを掲げ続けたいけど」。消え入りそうな灯の前で、自らを鼓舞する。(野平慧一、長部剛)

(2015年7月20日朝刊掲載)

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