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中国地方 8330人以上 原爆除く太平洋戦争の戦災死 本紙調査で判明 一度に100人超え 呉・福山空襲など

 太平洋戦争中の中国地方の戦災死者数が、推定14万人とされる広島市の原爆被害のほかに、少なくとも8330人に上ることが中国新聞のまとめで分かった。空襲などで一度に100人を超す死者が出た戦災は14件に上る。死者数は公式資料でも統計によってばらつきがあり、戦後70年の今なお、正確な実態把握が課題となっている。

 中国5県の県史や県警察史、市町村史などから、死者を出した戦災の記述を読み解いた。被害はいずれも1945年3月以降で、原爆以外の死者で最も多かったのは山口の3454人。広島2822人、岡山1819人、鳥取181人、島根54人と続く。

 一度に100人以上の死者を数えた戦災は山口7件、広島5件、岡山と鳥取が各1件。このうち、死者千人以上は8月6日の広島原爆、7月1日の呉空襲(1869人)、6月29日の岡山空襲(1737人)の計3件があった。

 死者が出た最初の被害は、2人が死亡した3月3日の山陽小野田市への空襲。その後、東京、大阪など大都市が壊滅し、6~8月に地方都市へ空襲が拡大した。光海軍工廠(こうしょう)への動員学徒を含む748人が犠牲になった光空襲や517人が死亡した岩国空襲は、終戦前日の悲劇だった。

 小規模な空襲は中国山地や瀬戸内海の島にも及んだ。安芸高田市高宮町で5月5日にあった船佐空襲(7人)や、福山空襲と同じ8月8日に笠岡市であった北木島空襲(2人)などでも、一般市民が狙われた。

 空襲以外に大きな被害が出た事例では、境港市の境港に停泊中の陸軍の徴用船が爆発し、市内に大火災を引き起こして120人が死亡した4月23日の玉栄(たまえ)丸事故がある。

 戦災死者数をめぐっては、尾道市の因島空襲(3月19日、7月28日)などで公式資料の記述と市民団体の見解が異なっている。各地の公式の戦災死者数は、今後の調査次第で上積まれる可能性もある。(石川昌義、馬場洋太)

 <調査方法>各戦災の死者数について、公的資料に複数の記述がある場合は、各自治体の担当者や資料編さんの実務者、民間研究者の助言から、信頼性が高いと判断した資料を基に集計した。

(2015年7月20日朝刊掲載)

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