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連載・特集

レンズはとらえた戦後70年 進む道路交通網の整備1970~71 自動車時代の幕開け

 広島市西区庚午北から廿日市市までの約20キロを結ぶ西広島バイパス。1971年8月、第一工区である庚午北から佐伯郡五日市町(現佐伯区)までの7・5キロが部分開通した。

 中国地方では初めての自動車専用道路。マイカー族に加え、バイパスを走るバスの利用者が急増したことにより、広島電鉄宮島線の同9月の利用者は前年同月比で約6万人減の約134万4300人となった。そのほとんどが定期券を利用する通勤客だった。

 山陽と山陰を結ぶ総延長175キロの国道54号は、広島、島根両県の経済・文化交流の担い手として期待された。それまで主に幅5メートル程度だった砂利道は幅8・5~9・5メートルの2車線となり、アスファルトで舗装された。新設された橋は両県で計50橋、トンネルは計6カ所に上った。

 国内では70年3月、大阪万博が開幕。同5月に広島港でシージャック事件が発生、同11月には作家の三島由紀夫が陸上自衛隊市ケ谷駐屯地(東京)で割腹自決し衝撃を与えた。海外では、71年8月、金とドルの交換停止が発表され、ドルが基軸だった固定為替相場制が崩壊した。(村上昭徳)

(2015年7月22日セレクト掲載)

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