×

ニュース

被爆66年式典 核の平和利用 問い直す 松井広島市長 初の宣言

 米国の原爆投下から66年となる6日、広島市は中区の平和記念公園で原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)を営んだ。福島第1原発事故により核と人間が共存できるかがあらためて問われる中、松井一実市長は「平和宣言」で被爆体験の継承や核兵器廃絶への取り組みを訴えるとともに、核の平和利用に疑問を投げ掛ける声を紹介し、政府にエネルギー政策の見直しを求めた。  式典は昨年より5千人少ない5万人(市発表)が参列し、午前8時に始まった。せみ時雨が響く中、松井市長と遺族代表2人が原爆死没者名簿を納めた。

 この1年間に亡くなったか、新たに死亡が確認された被爆者は5785人。名簿はこれで3冊増え100冊、27万5230人になった。併せて長崎で被爆し、遺族の希望で広島に納められる名簿1冊も、新たに1人増え9人となった。

 原爆投下時刻の午前8時15分、遺族代表のパート従業員中根しのぶさん(41)=安芸区=とこども代表の中野小6年田中翔太君(12)=同=が「平和の鐘」をつき、参列者は1分間黙とうをささげた。

 続いて松井市長が初めての平和宣言を読み上げた。公募で選んだ被爆者2人の体験談を引用し、「私たちがすべての被爆者からその体験や平和への思いをしっかり学び、次世代に、そして世界に伝えていかなければならない」と力説。臨界前核実験を繰り返す米国を名指しし、核兵器保有国へ廃絶の取り組みを迫った。

 原発事故をめぐり、脱原発の世論に言及。「早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきだ」と政府に訴えた。

 こども代表2人による「平和への誓い」では、三篠小6年福原真拓君(11)=西区=と己斐小6年藤田菜乃歌さん(11)=同=が東日本大震災の被災地と原爆投下後の広島の惨状に胸を痛め、「夢と希望があふれる未来をつくるために、行動していく」と誓った。

 菅直人首相はあいさつで「核兵器による惨禍が二度と繰り返されることのないよう、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力で取り組むことを誓う」と述べた。 (滝川裕樹)


平和宣言

 66年前、あの時を迎えるまで、戦時中とはいえ、広島の市民はいつも通りに生活していました。かつて市内有数の繁華街であった、ここ平和記念公園の地にも、多くの家族が幸せに暮らす姿がありました。当時13歳だった男性は、打ち明けます。―「8月5日は、中学2年生の私にとっては久しぶりに一日ゆっくり休める日曜日でした。仲良しだった同級生を誘って、近くの川で時間の経(た)つのも忘れて夕方まで、砂場でたわむれ、泳いだのですが、真夏の暑いその日が彼との出会いの最後だったのです」

 ところが、翌日の8月6日午前8時15分に、一発の原子爆弾でそれまでの生活が根底から破壊されてしまいます。当時16歳だった女性の言葉です。―「体重40キロの私の体は、爆風に7メートル吹き飛ばされ意識を失った。意識が戻ったとき、辺りは真っ暗で、音の無い、静かな世界に、私一人、この世に取り残されたように思った。私は、腰のところにボロ布をまとっているだけの裸体で、左腕の皮膚が5センチ間隔で破れクルクルッと巻いていた。右腕は白っぽくなっていた。顔に手をやると、右腕はガサガサしていて、左腕はねっとりしていた」

 原爆により街と暮らしが破壊し尽くされた中で、人々は、とまどい、傷つきながらもお互いに助け合おうとしました。―「突然、『助けて!』『おかあちゃん助けて!』泣き叫ぶたくさんの声が聞こえてきた。私は近くから聞こえる声に『助けてあげる』と呼びかけ、その方へ歩み寄ろうとしたが、体が重く、何とか動いて一人の幼い子供を助けた。両手の皮膚が無い私は、もう助けることはできない。…『ごめんなさい』…」

 それは、この平和記念公園の地のみならず、広島のいたるところに見られた情景です。助けようにも助けられなかった、あるいは、身内で自分一人だけ生き残ったことへの罪の意識をいまだに持ち続けている人も少なくありません。

 被爆者は、様々(さまざま)な体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を願い、毎日を懸命に生き抜いてきました。そして、被爆者をはじめとする広島市民は、国内外から心温まる多くの支援を受け、この街を蘇(よみがえ)らせました。

 その被爆者は、平均年齢77歳を超えながらも、今もって、街を蘇生させた力を振り絞り、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求し続けています。このままで良いのでしょうか。決してそうではありません。今こそ私たちが、すべての被爆者からその体験や平和への思いをしっかり学び、次世代に、そして世界に伝えていかなければなりません。

 私は、この平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝えたいと考えています。そして、人々が集まる世界の都市が2020年までの核兵器廃絶を目指すよう、長崎市とともに平和市長会議の輪を広げることに力を注ぎます。さらに、各国、とりわけ臨界前核実験などを繰り返す米国を含めすべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取り組みを強力に進めてほしいのです。そのため、世界の為政者たちが広島の地に集い核不拡散体制を議論するための国際会議の開催を目指します。

 今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿(ほうふつ)させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。

 また、東京電力福島第1原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

 日本政府は、このような現状を真摯(しんし)に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでいます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。

 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、「原爆は二度とごめんだ」、「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という思いを新たにし、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。


                                                                 平成23年(2011年)8月6日
                                                                      広島市長 松井一実


(2011年8月6日夕刊掲載)

年別アーカイブ