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連載・特集

白球が架ける橋 広島からスリランカ <上> 教室 楽しさ伝え 球児に希望

 四半世紀に及ぶ内戦で荒廃、疲弊したスリランカの復興に協力しようと、広島東洋カープと国際協力機構中国国際センター(JICA中国)が7月9~15日、視察団を派遣し、支援策を探った。原爆による被害から立ち上がる広島でカープは市民の心を支え、市民に支えられ成長を遂げた。野球は人々に希望と勇気を与える―。そう信じて始まったプロジェクト。現地での取り組みを報告する。(貞末恭之)

 同国最大の都市コロンボにあるセヤナヤケ小中一貫校に、2本の金属バットをはめ込んだ慰霊碑が立っている。中部の都市キャンディであった野球の試合からの帰途、反政府勢力による自爆テロの犠牲になった生徒7人と教諭1人を悼む碑だ。2008年に起きた悲劇。バットの表面には爆風の衝撃でできた傷が見て取れる。

野村さんが指導

 カープ前監督の野村謙二郎さん(48)たちが、現地で最初の野球教室を開いたのもキャンディだった。地元大学のホッケー場と陸上トラックを併設した運動場に高校球児20人が集まった。草が茂り、ゴロがイレギュラーするグラウンドで、野村さんは捕球の仕方や球の捉え方など基本を教えた。

 練習にゲーム感覚を取り入れたのは自らの原点と言う「野球は楽しいもの」とのメッセージを伝えたかったからだ。「野球を通じ強い体と心を培い、スポーツの楽しさを知ることで平和のありがたみを感じてほしい」との願いも込めた。

 同国に野球が伝わったのは1980年代前半。米国大使館員が持ち込んだという。代表チームもある。青年海外協力隊員が4代続けて監督を務めており、日本野球との結びつきは深まっている。競技人口は約5千人に増えた。

道具は海外頼み

 ただ環境は良好と言えない。バットやグラブは国内で製造されず、輸入や海外からの寄付が頼りだ。高給とされる公務員の月収が4万スリランカルピー(約3万6千円)で、日本製グラブは2万スリランカルピー(約1万8千円)もする。

 カープは現地に贈る用具を視察団に託した。ファジル・フセイン野球連盟会長(44)は「道具、資金、指導者全てが不足している現状で、大変ありがたい」と感謝した。

 3回開いた野球教室の最後の会場、西部ディヤガマの野球場に球音と高校球児の歓声が響いた。両翼100メートル、中堅125メートル。JICAの寄付金などで12年に完成した南アジア初の専用球場だ。

 ゴータ・ナデーシャさん(18)は「歴史で習った原爆が落ちたヒロシマの人に野球を教わって、いい思い出になる」と声を弾ませた。野村さんも「この体験を生かして、野球の素晴らしさを広げてくれる選手が出てくれたら、僕の来た意味がある」と目を細めていた。

スリランカ
 インド洋に浮かぶ島国。面積は北海道の5分の4に当たる約6万6千平方メートルで人口約2千万人。1983年、仏教徒のシンハリ人主体の政府軍とヒンズー教徒のタミル人からなる反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)の内戦が起きた。2009年に内戦終結を宣言するまで約7万人の犠牲者が出た。激しい戦闘があった北部の復興が課題となっている。

(2015年7月24日朝刊掲載)

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