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社説・コラム

『潮流』 平和の黄色いTシャツ

■論説委員・下久保聖司

 この夏、わが家のベランダで風に揺れる黄色はヒマワリではなく、洗い立てのTシャツだ。胸には英語で「ピースクラブ」とプリントされている。中学2年の娘が袖を通す。

 原爆資料館などが長年続ける平和推進プログラム「中・高校生ピースクラブ」に5月から参加している。日曜日にそろいのTシャツを着た仲間約30人と、平和記念公園で碑巡りをしたり、佐々木禎子さんと折り鶴の関係を観光客に伝えたりしている。

 家に帰ってくるなり「きょうはねえ…」と活動報告が始まる。生まれ育った被爆地と向き合おうとする姿がうれしい。父親としては思春期の娘との願ってもない接点でもある。

 被爆70年。きのこ雲の下で何が起きたのか、生の声を聞ける機会は着実に減っている。証言ビデオ、伝承者養成…。いろんな取り組みの中、広島の伝統といえる平和教育の力にあらためて期待したい。

 被爆地の課題を探った本紙の企画「ヒロシマは問う 被爆70年」も、そこに触れている。国内外の被爆者と日米の高校生へのアンケートでは「平和教育の活発化」を求める声がともに最多だった。

 わが身を振り返ると広島市近郊の小学校に通ったのは約30年前。被爆体験を明かす先生もいた。こうした肌感覚で被爆や戦争を語る世代の教員が現場を退き、次の世代が子どもたちと向き合っている。

 学校の押しつけでは難しい。子どもの気質も変わっている。娘はお笑い番組が好きな、ごく普通の中学生。「節目の年だから何かやってみようかな」との軽い気持ちだった。それでも10代の琴線に触れる何かがヒロシマにはあるのだろう。

 8・6に平和記念公園で訪れた人に折り鶴を勧め、泊まりがけで長崎研修へ。核兵器は絶対にいけん―。黄色いTシャツの若者たちは、きっと被爆地の訴えをつなぐ力になる。

(2015年7月25日朝刊掲載)

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