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連載・特集

びんごの70年 因島空襲 <5> 継承 戦禍の風化 若者が防ぐ

 「70年前、皆さんが生まれ育った島で何が起きたのか知っていますか」。17日に尾道市因島重井町の因島高であった平和学習で、講師に招かれた同校出身の青木望さん(26)が、1年生約100人に語り掛けた。

 青木さんは東京在住。コンピューター関連会社に勤めている。1945年3月19日と7月28日の因島空襲について考え始めたのは、高3になったばかりの2007年4月にさかのぼる。生徒8人で身近な戦争を学ぼうと調べ始めた。総合学習の一環だった。

 だが、関係資料がほとんど残っておらず、難航した。空襲を長年調べている著述業の父、忠さん(70)のサポートもあり、現場を知ろうと、旧日立造船三庄工場周辺、爆弾が落ちたとされる場所、防空壕(ごう)跡などをフィールドワークした。「遊んでいた場所で犠牲者が出たと知り、空襲を初めて身近に感じた」と振り返った。

証言集め冊子に

 さらに掘り下げるため、遺族たちの声に耳を傾けた。当時の混乱した状況は歳月を経ても生々しく、家族を失った悲しみの深さに胸を打たれた。「漠然としていた空襲のイメージが、はっきりと浮かぶようになっていった」

 半年後、青木さんたちは「埋もれた史実『因島空襲』」と題し、写真や図も使ったA4判、21ページの冊子をまとめた。現地調査や証言の聞き取りを重ねた力作は、県教委のコンクールの高校・課題研究部門で最優秀賞に選ばれた。

 それまで戦争と聞くと、広島市に落とされた原爆を連想していた。今は故郷の空襲が真っ先に思い浮かぶ。「自分たちの足元の地域から、あらためて戦争について考えてほしい」。後輩の真剣なまなざしに応え、強く訴えた。

「語る使命担う」

 平和学習では、住民2人が空襲の経験を語った。生徒の一人、田坂祐夏さん(15)は「戦争を体験していない私たちが伝えることができる範囲は、限られているのかもしれない。だけど、身近な人に伝えて、語り合うことが大切だと感じた」と話した。

 あの日から70年。空襲を語ることができる住民は減り、記憶も風化しつつある。「若い世代が体験者や遺族から受け継いだ平和への思いを、自分の言葉で語る使命を担っていかなくてはいけない」。青木さんは、後輩に呼び掛けながら、そう決意した。(新山京子)=おわり

(2015年7月25日朝刊掲載)

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