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社説・コラム

天風録 「鶴見さんの「あれ、それ」」

 「『あれ、それ』が最近増えたんよ」と、物忘れを嘆くご同輩は多かろう。とはいえ長年連れ添った夫婦なら、それで通じる。言葉にせずとも日々はよどみなく流れる▲きのう訃報を聞いた哲学者の鶴見俊輔さんも「あれ、それ」を大切にした。言い換えると身ぶり手ぶりである。それはハワイをはじめ太平洋の島々の交易の世界を長く支えた。「身ぶり手ぶりで伝わる遺産の上に私たちは未来をさがす他はない」と▲哲学者は進歩でなく「退行」をよしとした。「身ぶり手ぶりから始めよう」という一文をこう結ぶ。地震と津波の日本に原子炉は必要だったのか、退行を許さぬ文明とは果たして何か―▲これも言葉に頼らぬ思想だったのだろう。1971年のこどもの日、岩国基地からベトナムへの出撃に、たこを揚げ風船を飛ばして抗議する一人だった。空飛ぶ鉄塊もこれでは動けない。殺し殺されるのはいやだ、という米兵と心通じた時代だった▲作家の瀬戸内寂聴さんは「今お元気だったら、日本の現状に黙っていなかったでしょう」と悼む。哲学者は「九条の会」の呼び掛け人でもあった。安保法案も原発再稼働も、身ぶり手ぶりを交えて憤慨したに違いない。

(2015年7月25日朝刊掲載)

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