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銅板に刻む動員学徒 19校4000人分 広島で慰霊祭

 原爆に命を奪われた広島市内の旧制中学校、女学校計19校の動員学徒約4千人の名前を刻んだ銅板(縦30センチ、横50センチ)41枚が26日、広島市中区の元安川ほとりにある慈母観音像前であった慰霊祭で公開された。主催した旧制広島一中(現国泰寺高)の遺族会が被爆70年に合わせ公開した。四十数年ぶりという。

 銅板は1966年に市内21校の遺族有志の浄財で慈母観音像を建立した際、既に慰霊碑があった2校を除く19校分が作られ、台座に納められた。広島県立第一高女(現皆実高)崇徳中(現崇徳高)進徳高女(現進徳女子高)など学校ごとに犠牲学徒の名前を記す。

 この日は、15校の遺族たち81人が参列。テーブルに銅板が並べられると、参列者は懸命に肉親の名前を探した。廿日市市の大塚紀代子さん(90)、山本恵美子さん(87)姉妹は、修道中2年だった弟の山本嘉輝さんの名を見つけ、何度も指でなぞった。銅板の存在を知らなかった大塚さんは「ゲートルを足に巻き、意気揚々と出発した姿が昨日のように思い出される。来年も来たい」と涙をこぼした。

 21校の慰霊祭は、像が建った年に約2千人が集まったとされるが、一中遺族会の秋田正洋会長(63)によると、少なくとも72年以降は一中の遺族だけの出席だった。同会もかつての半分以下の約140人になり、傷みが目立つ観音像と銅板の存在を広め、管理について考える契機になればと今回、21校に案内した。

 秋田会長は「悲劇を継承し、平和への思いを新たにするため、みんなで知恵を絞りたい」という。慰霊祭は来年以降も7月下旬に開く考えでいる。(樋口浩二)

(2015年7月27日朝刊掲載)

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