×

社説・コラム

社説 安保法案と参院 「再考の府」の正念場だ

 安全保障関連法案がきのう、参院本会議で審議入りした。

 集団的自衛権の行使を容認する法案については憲法違反との懸念が一向に消えない。与党が数の論理にまかせ、衆院で採決を強行した後も国会周辺などでは抗議活動はさらに拡大し、報道各社の世論調査では内閣支持率がこぞって落ち込んだ。

 政府与党からすれば、逆風を仕切り直したい参院審議となろう。だがその直前、またしても首をひねりたくなる発言が飛び出した。安保法案をめぐり「法的安定性は関係ない」と述べた礒崎陽輔首相補佐官の発言である。集団的自衛権に関する憲法解釈で「法的安定性は確保できる」と主張する安倍晋三首相の答弁と矛盾してはいないか。

 まさに法案自体の危うさを浮き彫りにしたともいえよう。だからこそ参院の審議は極めて重要な意味を持つ。先の衆院審議では「違憲か合憲か」という本質論に時間が割かれ、個別の問題点は必ずしも洗い出せなかったきらいもあるからだ。

 初日の本会議の質疑で早速、政府側の「ぶれ」が露呈した。集団的自衛権の行使例で挙げてきたホルムズ海峡での機雷除去に関し、首相は特定の相手国は想定していないと説明した。

 衆院段階ではイランを名指ししていたが、この国の核問題が平和解決に向かったのを踏まえ軌道修正を図ったのだろう。しかし、要は根拠がないということではないのか。ご都合主義と言われても仕方あるまい。

 このありさまでは参院でも多くのほころびが出ることだろう。衆院では審議に116時間も費やしたが、政府側からは本質論から逃げるような答弁が目立ち、議論が深まらなかった。参院においては同様の堂々巡りの答弁は許されまい。

 野党の戦術も問われよう。法案が実質的に11本から成り、審議すべきは多岐にわたる。ばらばらに問いただすのではなく連携したい。集団的自衛権の違憲性、後方支援など論点ごとに集中審議する方法はどうか。

 衆院でほとんど議論されなかった部分も掘り下げる必要がある。例えば国連平和維持活動(PKO)協力法の改正による任務拡大である。成立すれば武器使用基準が大きく緩和され、これまで認めてこなかった弾薬の提供、発進準備中の戦闘機への給油も可能になる。武装集団に襲われた国連要員らを助ける「駆け付け警護」もできる。

 平和憲法の下で曲がりなりにも丸腰で臨み、インフラ整備などに従事してきた自衛隊のPKO活動の一大転換となろう。「スコップを銃に持ち替える」ことにもなりえるからだ。

 これほど重大な問題でありながら一括審議に埋没させてきたのは見過ごせない。法案をめぐる不誠実さの表れでもあろう。

 首相はテレビ番組に出演し、集団的自衛権の行使を「隣家の火事」に例えて説いた。適切とは思えない表現であり、問題を矮小(わいしょう)化しているとの批判は免れまい。法案の意味を真剣に考えている国民の気持ちを逆なでしないか。国会では、政府側は今度こそ中身ある答弁に徹することが求められる。

 解散がなく6年という長い任期の参院は「再考の府」ともいわれる。国権の最高機関として、チェック機能をはたせるか今からが正念場である。

(2015年7月28日朝刊掲載)

年別アーカイブ