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被曝66年 8・6ドキュメント 子に孫に伝え継ぐ 

原爆で亡くなった方々は、フクシマを見て何を思うだろうか

 福島第1原発事故という新たな核被害が起きてから初の広島原爆の日。「あの日」から66年目を迎えた広島市内では、惨禍に巻き込まれた人たちへの祈りとともに、原発の是非をめぐる人々の思いが交錯した。核兵器のない平和な未来を目指すイベントが各地で繰り広げられ、核についてあらためて問い直す1日となった。


  0・00 被爆3世の会社員山本裕介さん(27)=広島市東区=は、妻淑恵さん(25)、長女留歌ちゃん(2)と慰霊碑に手を合わせた。「子どもが歩けるようになったら連れてこようと決めていた。この地に住む者として、次代に伝える義務がある」
  0・55 人気男性デュオ「ゆず」がテレビ番組のため、元安川の川岸で歌を披露した。周りは数百人の若者たちで埋まった。
  1・25 慰霊碑前に座り込む西区の会社員毛利智子さん(30)の目に、涙がにじむ。広島で育ち、今は福島県郡山市で暮らす幼なじみの顔が浮かんだ。「彼女は放射線の恐怖を人一倍感じている」と唇をかんだ。
  2・20 西区の看護師黒崎美保さん(39)は、動員学徒慰霊塔に手を合わせ、思いをはせた。「原爆で亡くなった方々は、今のフクシマを見て何を思うだろうか」
  3・35 「また日本人が核で苦しんでいる。原発事故を防ぐことができなかった」。京都市のパート従業員国府幸代さん(61)は、父と母、兄の名前が納められた慰霊碑前でまぶたを閉じた。
  5・00 平和記念公園内で、安芸南高の放送部員5人が平和をテーマにした映像の撮影を始めた。2年の上西真里那さん(16)は「被爆者がいるから、今の私たちがいる」とカメラを回した。
  5・30 夜明けとともに、市長や知事たちが慰霊碑にささげる花輪が平和記念式典の会場に届く。直径約70センチ。100本以上の菊の花がきれいにあしらわれ、時を待つ。
  6・30 呉市の高校教諭鷹取昌史さん(49)は、長男の小学5年和弥君(10)と肩を並べ、原爆ドームの絵を描き終えた。「母親が10歳で終戦を迎えた。その年齢になった息子と、親子で原爆ドームを描きたかった」
  7・15 中区の重木賢三さん(83)が、妻礼子さん(77)と慰霊碑を後にした。広瀬橋で被爆して奇跡的に助かったが、一緒に建物疎開の作業をしていた約30人は一瞬で亡くなった。「私だけ生きてごめんなさい。思いは必ず後世に伝える」
  8・15 東広島市の大森和子さん(79)は66年間、欠かすことなくこの時間に原爆ドームで祈りをささげる。原爆投下時、母は県産業奨励館(現原爆ドーム)の中で働き、遺体は見つからなかった。「戦争は何があっても大嫌い」。涙で言葉が続かなかった。
  8・40 東日本大震災の影響で、福島市から安芸区に一時避難している菅野佐知子さん(38)が、子ども3人と平和記念公園を訪れた。「式典は昨年まで、テレビの向こう側の出来事だった」
  9・30 島根県邑南町の東アサコさん(82)は、平和記念式典に初めて、ひ孫で中学1年の広二朗君(12)を連れてきた。広島電鉄の運転士だった16歳の時、鈴が峰町で被爆した。「ひ孫に原爆の日の広島の雰囲気を感じてほしかった」
 10・40 フィリピンから訪れたミッツィ・チャンさん(39)が中区の中国電力本社前での1時間余りの座り込みを終えた。「チェルノブイリもフクシマも、原発のある所に安全はないと証明した」と語気を強めた。
 11・40 市内の水泳愛好家でつくる古式泳法グループの13人が、元安川で「奉納遊泳」を始めた。水を求めて亡くなった人への慰霊の気持ちを込め、川面を静かに進んだ。
 12・45 宮城県気仙沼市の菅野哲雄さん(62)が、原爆資料館から出てきた。「大津波に襲われた気仙沼と、広島の焼け野原が全く同じに見えた。東北も広島のように必ず復興する。亡くなった尊い命のためにも」
 12・56 この日の中区の最高気温33・2度を観測。平年を0・2度上回り、ことしも暑い一日となった。
 14・55 NPO法人オーロラ自由会議(東京)が、原爆の子の像の前で、佐々木禎子さんの生涯を紹介する自作の絵本「さだ子と千羽づる」の朗読を始めた。作家の山口泉さん(56)は「原発事故による放射線の恐怖は、かつてさだ子も感じたことだ」と訴えた。
 16・40 原爆資料館で地球平和監視時計を見上げる京都市の大学院1年佐藤真輔さん(25)は、福島県会津若松市出身。「実家は米作で生計を立てているが、放射線の風評被害で売れるかどうか分からない。早く核のない世界が来てほしい」
 17・45 NPO法人おりづる広島(南区)が、折り鶴の再生紙を製作、それを使った初めての灯籠8基が元安川に流れた。
 18・00 南区のマツダスタジアム。原爆の日では53年ぶりのプロ野球公式戦、広島―巨人戦が始まった。
 19・30 約5千個のキャンドルが原爆ドームを囲み、揺れる炎が幻想的な空間を演出した。堺市の大学1年後藤友莉さん(18)は「平和のありがたさを肌で感じた」とろうそくの灯を見つめた。(村田拓也、山本堅太郎、長久豪佑、木原由維、山本賢二朗)

(2011年8月7日朝刊掲載)

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