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社説・コラム

『言』 歴代首相の言葉 国民との「対話」に努めよ

◆東照二・立命館大教授

 歴代首相は曲がりなりにも、国民とのコミュニケーションに心を砕いてきた。増税など心苦しい頼みをするときは低姿勢で、高度成長期は世の中を鼓舞するかのように。所信表明や国会答弁を分析してきた立命館大言語教育情報研究科の東照二教授(59)は「国民との対話を怠ってはならない」と訴える。政治家の言葉から世相を見続けてきた言語学者には、安倍晋三首相の物言いはどう映るのか。(論説委員・下久保聖司、写真も)

 ―安全保障関連法案をめぐる首相の言葉をどう見ますか。
 是非を抜きにして、信念の政治家ですね。自分の意見や主張を曲げない。それが果たして首相としてどうか。もっと聞く側の気持ちを考えるべきです。集団的自衛権の行使が必要な事態があるのかと野党に問われ、「危機が起こらないと言えるのかどうか」と逆質問したのは開き直りに聞こえました。

    ◇

 ―党首討論では「われわれが提出する法律の説明は正しいと思いますよ。私は総理大臣なのですから」とも。
 うーんと思ってしまう。とかく感情的な発言が目立ちます。「早く質問しろよ」というやじも首相の品位が問われかねない。「興奮しないで」と質問議員を諭す場面はまるで親が子にするようでした。相手を小ばかにする態度は国民の受けも悪い。敵をつくりやすい話し方は、この際改めるべきでしょう。

 ―首相の威をかってか、側近議員からも失言が絶えません。
 メディア圧力発言などは、言葉の伝染という現象です。居酒屋トークと一緒。仲間内でワイワイやっているうちに、言っていいこと悪いことの区別がつかなくなってしまう。いまの政治家は、言葉の持つ意味に鈍くなっています。

 ―ならば、これから首相には何が必要ですか。
 事実関係を分かりやすく伝える「リポートトーク」は当然のことながら、聞く側と心情的なつながりを築く「ラポート(共感)トーク」の力を磨いてほしいですね。そのラポートについては、小泉純一郎氏が上手でした。「自民党をぶっ壊す」というワンフレーズで民衆との距離を縮め、街頭演説でも身近な話題を交えました。

 ―郵政解散総選挙など小泉氏の「劇場型政治」には賛否もありましたが。
 確かにその通りです。私が言いたいのは言葉の怖さです。あのヒトラーが言っています。政治の世界で歴史的な雪崩を起こしたのは、書かれた言葉の力ではない。それは語られる言葉の魔力だけだ―と。

    ◇

 ―かつての日本も同じだったのでは。著書「歴代首相の言語力を診断する」では戦中を含む41人を分析していますね。
 太平洋戦争の開戦時に首相だった東条英機は「翼賛」「国民精神」など国威発揚の言葉を多用しました。発言を正当化する手法で、先日亡くなった哲学者の鶴見俊輔さんは「お守り的使用」と表現しました。

 ―戦後の歴代首相はどうでしょう。所信表明で見れば。
 基本は官僚や秘書官の作文ですが、首相が筆を入れるので個性が出ます。私は文末表現に注目しました。謙虚さを示す「ございます」を多用したのは池田勇人、鈴木善幸、宮沢喜一ら、旧宏池会の諸氏。国会運営にもその姿勢が表れています。

 ―面白い見方ですね。
 他にも田中角栄氏は「まいります」、言語明瞭・意味不明瞭と言われた竹下登氏は「考えます」、人柄の小渕恵三氏は「いたします」が多かった。演説の文量もそれぞれです。多かったのは橋本龍太郎氏で生真面目な性格が出ています。今ではアベノミクスと言われますが、演説の中で自分の名前を政策に付けるのが一般的になったのは小泉氏からです。「田中日本列島改造計画」とも「池田所得倍増計画」とも言わなかった。

 ―自分にメッセージ力がないのに、国民が理解してくれないと嘆く政治家もいます。
 責任転嫁はいけない。米国の選挙演説は文節を短くし、専門用語も極力使わなくなりました。それに比べ日本の政治家は聞き慣れない格言や偉人の言葉を引っ張ってきたり、片仮名言葉でごまかそうとしたりする。人を動かすには言葉の力を磨き直すべきです。

あずま・しょうじ
 石川県珠洲市生まれ。早稲田大第一文学部を卒業後、テキサス大オースティン校で言語学博士号を取得。専門は社会言語学。91年からユタ大言語文学部教授、04年から立命館大言語教育情報研究科教授を兼任。著書に「言語学者が政治家を丸裸にする」「選挙演説の言語学」など。京都市中京区在住。

(2015年7月29日朝刊掲載)

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