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連載・特集

『生きて』 児童文学作家 那須正幹さん(1942年~) <8> デビュー

夢中にさす面白さ追求

 広島で発行していた同人誌「子どもの家」に作品を書き始めて2作目は、「暗い部屋」という、小学校の思い出みたいな物語を書いた。その時、東京の児童文学作家、来栖良夫さんがたまたま合評会に参加された。僕の作品を読んで、「この作者は、じきに作家になれますよ」と言ってくれて。刺激になったね。

 3作目は「白い種」。古代の稲の渡来の話で、それが「日本児童文学」という雑誌の同人誌評に取り上げられた。推薦してくれたのが、児童文学作家の木暮正夫さん。そのころになると、僕でも、ひょっとしたらプロになれるかもしれんと思いだした。それで、30歳までに本が出せんかったらやめようと決めたね。

 当時、現代児童文学の傑作といわれた作品を読むと、すごくまじめな作品が多いのよ。僕自身、子どもの時に本が嫌いじゃったから、そんな子どもでも夢中になって読める面白い作品を書こうと思って。それで、書いたのが「首なし地ぞうの宝」という、現代の子どもが宝探しをする話。ちょうど、学研の公募があると聞いたから、それに応募した。

 1970年、初の長編「首なし地ぞうの宝」が学研児童文学賞の佳作に入選した
 舞台は己斐の街。当時、書道塾に来よった子どもに、転勤族が多かった。で、自分の故郷が分からん子が多いわけよ。どこで生まれたんか聞いたら、産婦人科の名前を言う。それがちょっと面白いなと思うて。そういうアイデンティティーみたいなのがない子どもと、地元の子どもが一緒に宝を探す話を思い付いた。

 受賞作は72年4月、単行本で刊行。作家として歩み始める
 出版社の手違いで、見本が届かず、先に書店に並んだんよ。本通り(広島市中区)を歩きよって、広文館じゃったか、ひょいと児童書コーナーを見たら、何か同じような名前の本があるなあと。通り過ぎてから、どうもおかしいと見たら、ちゃんと那須正幹って書いてある。ただ、買うところを知り合いに見られたら恥ずかしいなと思うて。辺りをきょろきょろしながら買ったね。あの時は、すごくうれしかったなあ。

 その前にも、同人誌の仲間と短編集を出しとったけど。とにかく30歳になる2カ月前にデビューした。

(2015年7月28日朝刊掲載)

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