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連載・特集

レンズはとらえた戦後70年 変貌する広島市西部地区1972~74 相次ぐ開発 地形を一変

 1960~70年代に、己斐地区では山肌が削られ、次々と団地が造成された。その広さは10団地で計100ヘクタールを超えた。己斐大迫でも市内を見下ろす茶臼山が切り開かれ、山肌が姿を現した。新設された学校では子どもたちの元気な声が響いたが、時代は移ろい、今では団地の「老い」が進む。

 潮の香りが漂い、田園風景を望めた草津・井口地区はその姿を大きく変えた。市の西部開発事業で井口沖が埋め立てられ、海岸線が消えた。後に、西の商業拠点となる埋め立て地に土砂を運ぶため、鈴が峰陸橋が造られた。現在、陸橋の先には大型複合商業施設アルパークや広島サンプラザが立地する。

 72年2月、あさま山荘事件が発生し、その様子がテレビで生中継された。同5月に沖縄が本土復帰し、同9月には日中国交正常化がなされた。中国から贈られたパンダは空前のブームを巻き起こした。73年の第1次石油危機では買いだめが相次ぎ、物価が高騰を続けた。(村上昭徳)

(2015年7月29日セレクト掲載)

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