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「風化させぬ」 表現者の誓い 被爆の記憶 継承テーマにシンポ 東京 大きい想像力の役割

 原爆や核被害をテーマにした表現活動に携わる人たちが、被爆の記憶を次世代に引き継ぐ意義を話し合うシンポジウムが19日に武蔵大(東京都練馬区)であった。舞台や映画、出版、放送の分野から、風化にあらがう表現の力を確かめた。(石川昌義)

 「うちは、生きとるんが申し訳のうてならん」。俳優の斉藤とも子さん(54)は、広島の原爆を描いた井上ひさし原作の舞台「父と暮せば」で演じた「美津江」のせりふを強く覚えている。美津江は、被爆直後の炎の中で、父を置いて逃げる。「生き残った人は誇りを持って幸せになってほしいのに、多くの被爆者は自分を責める。でも、自分が演じると、あのせりふが自然に出てくる」

不安の中生きる

 斉藤さんは舞台を契機に多くの被爆者と接するようになった。原爆小頭症患者と家族でつくる「きのこ会」とも交流。国を相手取った原爆症認定訴訟を闘う被爆者とも出会った。

 「寒空の下、雨の中、厚生労働省へ要請に出向く。未来を生きていく人たちに、何も言えずに亡くなった人たちや、自分たちのような思いをさせたくない。誰かのために動いていることを知った」。福島での講演活動にも取り組む斉藤さんは原発事故を例に「どんな過酷な状況でも、人は生きていかなければならない。不安の中を生き続けた被爆者の存在が私たちの支えになる」と力を込めた。

 シンポジウムは、都内の有志が2007年から毎年続ける「被爆者の声をうけつぐ映画祭」を機に企画した。実行委員長の映画監督有原誠治さん(67)=東京都清瀬市=は、自身が手掛けた被爆体験の証言映像を上映。「生き残ったことを後悔し続ける人がいる。被爆者の苦しみは、肉体的な傷だけではない」と訴えた。

 13年に発足した「東京被爆二世の会」の事務局長でフリーライターの吉田みちおさん(57)=練馬区=は05年、父の長崎での被爆体験を基に小冊子「カンちゃんの夏休み」を発行した。その年に家族で出掛けた長崎旅行で初めて、父の体験をまとまった形で聞いた。

当たり前の存在

 「『被爆者はありがたい話をしてくれる特別な人』という思いが私にもあった。しかし、長崎で話を聞くと、普通の子どもの体験だと分かった」と吉田さん。これまでに配った小冊子は約5千冊。「東京の満員電車の隣に座っている人が被爆者かもしれない。被爆者が当たり前の存在だと気付くきっかけになったのでは」と語る。

 母親が広島市中心部の八丁堀で被爆した武蔵大教授の永田浩三さん(60)は、自身の長女を出産当日に亡くした経験を告白した。「私は不完全な存在じゃないかと、自分を責めたこともある」と振り返った。

 元NHKプロデューサーの永田さんは、米国の水爆実験で被曝(ひばく)した第五福竜丸をテーマにした番組も担当した。最初の子どもを死産で失った元乗組員にもマイクを向けた。「私の母も、多くの被爆者も、私と同じ思いを抱えて生きていたのかもしれない。『そっとしておいて』と言う人でも、気持ちを分かってもらえると思う人には話をすることがある。想像力の役割は大きい」と呼び掛けた。

(2015年7月30日朝刊掲載)

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